このサイトは、近畿で開かれた考古学関連の現地説明会の資料や写真等を公開しています。
日時 | 令和6年11月9日(土) 11~15時(随時説明) ※小雨決行 |
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遺跡名 | 法相宗大本山薬師寺(奈良市西ノ京町457) 回廊西北隅(発掘調査現場) |
場所 |
奈文研の地図PDF ・近鉄橿原線 西ノ京駅下車すぐ ・奈良交通バス 近鉄奈良駅・JR奈良駅より98系統「法隆寺前(薬師寺駐車場)行き」乗車「薬師寺駐車場」下車すぐ(本数が少ないのでご注意ください) (詳しくは、薬師寺公式サイトをご覧ください) |
主催 | 奈良文化財研究所 |
報道 |
上記はあくまで新聞各社の報道、その他に基づく情報です。
天候によっては中止される場合もありますので、開催の有無/時間/場所等は主催者にご確認ください。
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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6月1日 |
法貴古墳群 京都府亀岡市 |
準備中 |
3月16日 |
富雄丸山古墳 奈良市 |
準備中 |
2月10日、11日 |
坂本城跡 大津市 |
準備中 |
1月27日 |
平城京左京三条一坊二坪 (平城第658次調査) 奈良市 |
準備中 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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9月16日 |
久津川車塚古墳 京都府城陽市 |
墳丘東側、後円部を調査した結果、中段斜面の基底石、下段テラスで埴輪列、下段斜面で区画石列を検出した。ただし造り出しは確認されず、西側のみに造り出しがあることが確認された。 |
1月28日 |
富雄丸山古墳 奈良市 |
造出しの墓壙内で粘土槨を確認。粘土槨内部には、コウヤマキで作られた割竹形木棺が残存。円丘部側の被覆ひふく粘土中には、鼉龍文盾形銅鏡1面と蛇行剣1本が副葬されていた。鼉龍文盾形銅鏡は長さ約64cm、幅約31cm。蛇行剣は長さ約267cmで日本最大、最古例。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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12月10日 |
峯ヶ塚古墳 大阪府羽曳野市 |
峯ヶ塚古墳は墳丘長96m、後円部直径56m、前方部幅74.4mの前方後円墳で、くびれ部の北側に20mの造出しを設ける。令和元年から作造り出しを調査し、令和3年には西辺を確認。古墳の周濠内から木製品を検出。今年度北側に調査範囲を広げたところ、石見型木製品(木製はにわ)であることが判明。残存長約352㎝、残存幅約75㎝、最大厚約8㎝を測る。 |
10月15日 |
興福寺東金堂院の回廊の発掘調査(平城第649次調査) 奈良市 |
東金堂院北面回廊の礎石・基壇・雨落溝などの痕跡が見つかった。従来、東金堂院の東端は東金堂・五重塔のすぐ東側と考えられていたが、今回の調査で、東金堂院は東西100m以上の規模を有する広大な区画であることが判明した。 |
8月6日 |
藤原宮大極殿院の発掘調査 (飛鳥藤原第210次調査) 奈良市 |
藤原宮大極殿院北部を調査し、大極殿後方基壇および大極殿後方西回廊を検出した。大極殿後方基壇の上には東西棟の建物が存在したと考えられ、その東西に後方回廊が取り付く構造であることがわかった。 |
7月9日 |
法貴北古墳群 京都府亀岡市 |
横穴式石室を埋葬施設に持つ円墳を2基、木棺墓1基などを確認。2基の古墳は、古墳時代後期(6世紀後半)に築造され、うち1基は飛鳥時代中ごろ(7世紀)までに追葬されたことが分かった。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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10月9日 |
興福寺東金堂院の門と回廊の発掘調査
(平城第640次調査) 奈良市 |
東金堂の西正面に位置する門と、それに取り付く回廊を確認した。門は切妻造の八脚門とみられ、回廊は梁行1間の単廊だったことがわかった。 |
10月2日 |
藤原宮大極殿院の発掘調査 (飛鳥藤原第208次調査) 奈良市 |
2019年に東面回廊に取り付く大極殿後方東回廊を発見し、藤原宮大極殿院と前期難波宮内裏前殿区画の構造上の類似性が改めて注目されたが、今回は大極殿後方回廊から大極殿院北面回廊の間に、前期難波宮内裏後殿に相当する建物の明確な痕跡はなく、その造営にも着手していない可能性が高まった。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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10月3日 |
尾山遺跡 大阪府島本町 |
後鳥羽上皇が造営した水無瀬離宮、あるいは、後鳥羽上皇に近しい皇族・貴族が関係すると思われる池(167池)を発見した。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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11月30日 |
富雄丸山古墳 第3次調査 奈良市 |
直径109mの造出し付円墳。造出し北西側は2段で、上段平坦面はハの字にひらいて墳丘本体側に向かつて高くなり、2段目斜面に接続。下段の平坦面では円筒埴輪列を確認した。また墳頂部では斜縁神獣鏡の破片が出土した。 |
10月26日 |
史跡西寺跡・唐橋遺跡 京都市南区 |
36次調査において基壇南縁、階段、出枘礎石、礎石抜取り穴を検出。この調査により講堂身舎の柱間は15尺、桁行は七間であることが判明。創建期の東寺講堂規模(柱間13尺等間の桁行九間)を示したとされる『東宝記』に「西寺亦此れに准ず」と記された内容と異なることが判明した。 |
9月14日 |
平安京右京九条二坊四町跡・九条大路跡・唐橋遺跡
京都市南区 |
今回の発掘調査によって、平安京の南辺を画する九条大路と羅城の基底部が初めて確認された。 |
8月30日 |
久津川車塚古墳 京都府城陽市 |
後円部の上段および中段裾の位置を確認。復元長は中段テラスが約4.1m、下段テラスが約5.5mで、上段径が約66m、中段径が約85.5m、下段径が約110mと判明。また中段テラスに比べて下段テラスの幅が広いことを確認した。 |
8月10日 |
飛鳥京跡苑池第13次調査(飛鳥京跡第182次調査)
奈良県橿原市 |
北池の北東隅で、石組み 枡 、石組み溝、石敷き、階段状遺構からなる流水施設を検出した。 |
2月23日 |
ヒエ塚古墳第4次発掘調査 奈良市 |
天理大学との共同調査で地中レーダ探査を実施し、後円部の直径が約69mになることが判明した。今回の発掘調査では墳丘裾及び、周濠を確認することはできなかったが、海軍柳本飛行場に関連する可能性がある遺構が見つかった。 |
1月26日 |
富雄丸山古墳の発掘調査(第2次) 奈良市 |
2017年度に航空レーザ測量から、直径約110mの造り出し付円墳であると考えられ、国内最大の円墳となる可能性が出てきた。今回の調査で国内最大の円墳と考えて支障のないデータや墳丘の構造が判明した。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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12月15日 |
平城宮跡東区朝堂院の発掘調査(平城第602次調査) 奈良市 |
奈良時代後半の東区朝堂院東門基壇は、南北規模が約20m(66尺)、推定の東西規模が約10m(33尺)で、東院地区の南門(建部門)基壇と平面規模が同程度であったことがあきらからになりました。 |
9月1日 |
平安京左京四条三坊十四町 京都市中京区 |
安土桃山時代末期頃の濠を確認。北西から南東へ伸び、途中で屈曲して東西方向より少し南へ傾いて東へ伸びていることが判明。豊臣秀吉が京内の多くの寺院を寺町へ強制的に移動させた時期と重なる。 |
8月18日 |
千提寺菱ヶ谷遺跡 大阪府茨木市 |
ほぼ1体分の骨が残っているお墓と 炭化物 を多く含む穴を検出。過去の調査では近くから頭蓋骨の一部・下顎あごの骨・21本の歯がみつかり、科学分析の結果、何らかの 疾病 を患った熟年男性で、江戸時代前期以降に出生した人物であることが判明している。 |
7月21日 |
南畑・下平両古墳群 滋賀県高島市 |
5世紀後半から7世紀代に至るまで、同じ墓域内で変化しながらも継続して造墓活動が行われていたことが判明。坏身・坏蓋・高坏・はそう・広口壷・金環などが出土した。 |
5月26日 |
榊差(さかきざし)遺跡 滋賀県草津市 |
鋳型 、 鉄滓 、 炉壁 、 羽口 、木炭片など鋳造関連遺物が廃棄された土坑が確認された。奈良時代前半の土器が出土したことから、獣脚の鋳型は国内最古とみられる。 |
3月3日 |
藤原宮大極殿院の発掘調査(飛鳥藤原第195次調査) 奈良県橿原市 |
大極殿院東面・北面回廊にかかる東北隅部を調査。東面回廊は北半も複廊であり、北面回廊も複廊の可能性が高いことが判明した。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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12月23日 |
平城宮跡東院地区の発掘調査(平城第593次調査) 奈良市 |
平城宮跡東院地区で、奈良時代後半の大型井戸跡と水路でつながる建物跡を検出した。井戸は4m四方で四周に幅約0.5mの石組溝を巡らせていた。 |
9月9日 |
久津川車塚古墳 京都府城陽市 |
後円部西側において墳丘の裾を確認し、渡り土手の取りつくことが判明。渡り土手からは水鳥形埴輪のほか、上面から有機質の遺物が出土。また西くびれ部で埴輪列を検出。くびれの位置が明らかになった。 |
6月3日 |
高槻城二の丸跡 大阪府高槻市 |
二の丸北内堀を調査。江戸時代の遺構からは二の丸不明門の石垣と根固め石、木橋を検出。戦国時代の遺構からは大溝と大堀、築城用土橋が見つかった。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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11月26日 |
井ノ内車塚古墳第9次調査 京都府長岡京市 |
主体部が横穴式石室であることが判明。同時期(古墳時代後期)で同じ右片袖式の芝古墳、井ノ内稲荷塚古墳と中間的な規模と推測される。 |
11月12日 |
御土居跡 京都市北区 |
御土居北西部を調査。やや緩やかな自然地形の斜面に対して急勾配の土塁を構築するため、斜面の一部を埋め立て土塁と犬走を構築していることが判明。また排水施設(暗渠)も検出した。 |
10月15日 |
五塚原古墳第8次調査 京都府向日市 |
箸墓古墳と同時期につくられた最古段階の大形前方後円墳。後円部の西側墳丘の裾から埴輪棺が出土。埴輪は妙見山古墳で出土したものと同形。五塚原古墳からはこれまで埴輪は一切出土していなかった。 |
6月11日 |
平城京二条大路・朱雀大路跡 奈良市 |
東区では朱雀大路西側溝と二条大路南側溝を検出、西区では二条大路南側溝と西一坊坊間東小路西側溝、二条大路南側溝に接続する南北溝を検出した。出土した遺物は東区・西区とも奈良時代を中心とした須恵器・土師器等の土器のほか、軒瓦を含む瓦類、木製品が出土した。 |
5月15日 |
藤原京右京九条二・三坊,瀬田遺跡の発掘調査(飛鳥藤原第187次調査) 奈良県橿原市城殿町 |
弥生時代終末期(2世紀中ごろ~後半)の周溝墓群を確認し、陸橋をもつ大型円形周溝墓(直径約31m)の存在が明らかとなった。 |
4月29日 |
平安京跡 京都市上京区 |
室町時代から幕末の遺構を検出。幕末の遺構からは、これまで絵図でしか確認できなかった京都守護職上屋敷に伴う遺構を始めて確認した。 |
4月23日 |
女谷・荒坂横穴群 京都府八幡市 |
少なくとも300基程度の横穴が造られていると想定される女谷・荒坂横穴群。今回の調査では7基の横穴を検出し、3基で墓道、4基で玄室を確認。1基からは最低2体分の人骨、耳環、須恵器壺、土師器高杯が出土した。 |
1月23日 |
方広寺跡 京都市東山区 |
方広寺大仏殿南回廊の礎石据付穴を東西方向に2列、および溝を発見。また恭明宮のものと思われる施設内の区画溝も発見した。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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9月26日 |
小路遺跡 大阪府寝屋川市 |
柱穴・溝・井戸・土坑(ごみ穴等)・自然河川などの遺構を検出。庄内式土器が見つかったことから、古墳時代初め頃の集落跡とみられる。 |
9月19日 |
久津川車塚古墳 京都府城陽市 |
5世紀前半に築造された山城地域最大の前方後円墳(墳丘長推定180m)。1894年に未盗掘の長持形石棺が露呈したことで知られる。今回の調査で墳丘の西側に造り出しをもつことを確認。造り出し内部からは形象埴輪と供献土器に加え、レーザー探査によって埋葬施設も確認された。 |
8月23日 |
中西遺跡 奈良県御所市 |
独立棟持柱建物が確認された秋津遺跡(古墳時代前期)の南西で、竪穴建物26棟を検出。祭祀空間(秋津遺跡)とは溝によって区画された居住空間とみられる。 |
8月1日 |
森ヲチヲサ遺跡 奈良県高取町 |
一辺13.5mの大壁建物を検出。東側面に1.1mの楕円形の土壙と、西から北へ屈曲する幅50cmの溝が確認された。溝内には炭・焼土や土器砕片が混ざった粘質土が堆積していることから、オンドル(床暖房)の可能性が高いと考えられる。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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10月18日 |
五塚原古墳第6次調査 京都府向日市 |
東側斜面で大きくせり上がる「斜路(しゃろ)状平坦面」とこの勾配にあわせて置かれた基底石が確認された。 |
6月28日 |
兵庫津遺跡 兵庫県兵庫区 |
江戸時代の街路を9本、火災に遭った焼失建物を50棟以上検出。江戸時代中期の『摂州八部郡福原庄兵庫津絵図』とよく合致していて、ほとんど同じ位置に同じ規模でくり返し造り替えられていることが判明した。 |
3月8日 |
平城宮跡第一次大極殿院地区(平城第520次調査) 奈良市 |
第一次大極殿院・西宮から幢旗とみられる遺構を確認。『延喜式』に記された幢旗の数、間隔や「文安御即位調度図」に描かれた姿と一至。 |
2月16日 |
久渡2号墳 奈良県北葛城郡上牧町 |
墳丘は径約16m、高さ約3mの円墳。南に開口する横穴式石室。石室の床には凝灰岩片が敷きつめられ、石室は輝石安山岩の加工のみられない自然石で築かれていたと思われる。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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9月28日 | 興福寺西室(にしむろ) | 西室の創建当初の建物規模がわかる礎石、礎石据付穴などの遺構を確認。『興福寺流記』などから桁行11間に復元されてきた従来の復元案とは異なる柱割であることが判明した。 |
9月7日 | 甘樫丘東麓遺跡(飛鳥藤原第177次調査) | これまでの調査区の北東の谷を調査。斜面を削り谷を埋めて広い平坦面を造り、建物を建て、溝を造るなどして利用してきたことが判明。同時に建物や溝は7世紀中頃をあまりくだらない時期に廃絶し、利用されなくなった模様。 |
8月24日 |
五塚原古墳 京都府向日市 |
これまでの調査から、箸墓古墳をモデルプランとする最古型式前方後円墳のひとつと考えられる。全長91.2m。今回の調査で、前方部に段築が無い、隆起斜道を確認、墳丘に埴輪や土器が並んでいなかった可能性が高くなった。 |
8月2日 |
長山古墳 大阪府堺市 |
これまで古地図や文献などでしか知られていなかった前方後円墳。墳丘長110m、後円部直径56m、周濠を含めた全長156mの規模であったと推測される。今回の調査で前方部東側裾部に長さ約16m、幅約1.4m、高さ約0.5mの範囲で葺石を確認した。主な出土遺物は腕輪形石製品(車輪石)、円筒埴輪、器財埴輪など。 |
7月27日 |
北野天満宮史跡御土居 京都市上京区 |
北野天満宮境内地の北西部で切石組暗渠を検出。御土居構築後にこれを掘り込み、石組を設置して再び埋め戻していたことが判明。また『京都総曲輪御土居絵図』に描かれる元禄14年(1701)に開削された切通しの道路を検出した。 |
7月6日 |
平安京左京八条四坊八町跡・御土居 京都市下京区 |
江戸時代に付け替えられたと考えられる御土居の一部を検出。耕作土の上に江戸時代の陶器(唐津椀)が出土し、その上に土塁が築かれていた。 |
6月29日 |
長岡京跡左京第557次調査 長岡京市 |
六条大路と東一坊大路の交差点を調査。そのすぐ近くから、長岡京時代(8世紀後半)の遺構から漆紗冠(しっしゃかん。貴族が着用する漆塗りの冠)が4点出土。 また動物の皮を漆で塗り固めた「漆皮箱(しっぴばこ)」の一部も出土した。 |
6月22日 |
上京遺跡・室町殿跡(花の御所) 京都市 |
江戸時代の武家屋敷跡の土坑、および町家の土坑から大量の陶磁器類が出土。1620(元和6)年に大火の記録があり、その時のものと思われる。 |
3月30日 |
平城宮跡東院地区の発掘調査 (平城第503次調査) 奈良市 |
6時期にわたる建物・塀・溝・基壇状遺構など多様な遺構を確認。奈良時代末頃の中枢施設群を区画する回廊状建物を検出した。また平瓦で周囲を囲む基壇状遺構も検出した。 |
3月23日 |
千提寺西遺跡 大阪府茨木市 |
キリシタン大名、高山右近の領地、大阪府北部の山間部で、古代の集落、中世、近世の墓地を調査。一部の墓壙は伸展葬で、上部を四角く石組みしていることから、キリシタン墓と見られる。他、石仏や五輪塔なども出土。近世の墓からは花魁や虚無僧の土人形も出土。 |
3月3日 |
元稲荷古墳第10次調査 京都府向日市 |
後方部西辺の裾位置を確認し、第二段斜面裾までの礫敷・葺石の遺存状況を確認した。これまでの調査で、墳丘は神戸市西求女塚古墳と「同形墳」であると考えられる。 |
1月26日 |
薬師寺食堂跡発掘調査(平城第500次調査) 奈良県 |
薬師寺食堂の建物および基壇の規模がほぼ確定し、基壇築成の工程や基壇外装の様相、造営や廃絶に関する年代的手がかりなどが判明 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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12月15日 |
史跡植山古墳 奈良県橿原市 |
6世紀後半と7世紀前半の2つの横穴式石室が東西に並ぶ双室墳。広範囲に盛土(閉塞土)を施して石室入口周辺を覆い尽くすという特異な閉塞方法を採用していることが判明。 |
9月22日 |
元稲荷古墳第9次調査 京都府向日市 |
3世紀後葉につくられた全長94mの前方後方墳。前方部前端、南東隅角、東側斜面を調査。葺石は10cm未満の礫が多く、裏込めの粘質土に詰め込むような施しかたをしていた。 |
9月22日 |
寺戸大塚古墳 京都市西京区 |
4世紀中頃に築造された前方後円墳。全長は98m。これまでは前方部の両側辺が 外側に開かずに平行する「柄鏡型」とされていたが、今回の調査の結果、西側辺が外側に開くことが判明し、「柄鏡型」ではないことがわかった。 |
9月15日 |
平城京跡左京三条一坊一・二坪 (平城第495次発掘調査) 奈良市 |
朱雀門の南東に位置する区画で、南北の2箇所を調査。北調査区では鞴(ふいご)や、熱した鉄を敲(たた)く際の台である金床(かなとこ)が出土し、東西約13m、南北約7mの範囲に23基の鍛冶炉を検出した。南調査区では三条条間北小路とその南北両側溝、建物1棟を検出した。 |
9月8日 |
山科本願寺 京都市山科区 |
「御本寺」の中心部付近から石風呂、カマド、井戸などが見つかりました。また焼けた壁土や炭化米が多量に見つかったことから、炊事施設と思われる遺構も見つかりました。 |
9月1日 |
讃良郡条里遺跡 大阪府四條畷市・寝屋川市 |
奈良時代の遺構から小型の海獣葡萄鏡が出土。日本全国で12例目、大阪では初めて。他、古墳時代~弥生時代を中心とする集落と田んぼ、竪穴住居なども検出。 |
8月25日 |
古川町遺跡 神戸市須磨区 |
古墳時代前期(3世紀ごろ)から平安時代末(12世紀末)の集落や砂丘を確認。木棺墓からは白磁器(中国製)や須恵器、土師器などが出土。砂丘では生痕化石が確認された。 |
8月18日 |
平安京右京二条二坊十一町 西堀川小路跡・御土居跡 京都市中京区 |
桃山時代の遺構から御土居(おどい)跡を、平安時代の遺構からは西堀川小路を検出しました。西堀川小路の側溝からは木簡が出土し、「今日物忌」と書かれていたことが判明。 |
5月19日 |
白味才西古墳 京都府大山崎町 |
7世紀中頃の横穴式石室を検出。一辺約10メートルの方墳で、石室は、全長約5.7メートル。 |
4月21日 |
成合遺跡 大阪府高槻市 |
弥生時代の遺構として竪穴建物8棟、平安時代の遺構としては掘立柱建物2棟、壁が真っ赤に焼けた穴、真っ黒な炭が入った穴、須恵器窯跡などを検出。また7世紀中頃の古墳も見つかった。遺物はヒスイの勾玉、鉄釘、須恵器や土師器など。 |
3月4日 |
甘樫丘東麓遺跡の調査(飛鳥藤原第171次調査) 明日香村 |
調査区の南側で、炭、焼土、焼けた木材、こぶし大の石を詰めた石敷、底に石を敷いた溝などが見つかった。 |
2月18日 |
元稲荷古墳第8次調査 京都府向日市 |
前方部前半(西南側)の調査で、墳丘基底平坦面から墳頂西端までに遺存する葺石や磯敷を検出。前方部の形状は「バチ形」ではなく、くびれ部から直線的にひらいていることがはっきりと確かめられた。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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12月3日 |
飛鳥京跡苑池 明日香村 |
渡堤で仕切られた南北2つの池(南池・北池)の南池の規模・構造がほぼ判明。東岸は高さ3m以上をはかる巨大な石組構造だったことが明らかに。 |
9月10日 |
山科本願寺跡 京都市山科区 |
「御本寺」の中心部に近いと思われる場所から土塁、通路状遺構、石組み溝が見つかった。石組み溝は屈曲あるいは斜行することなどから、景観を意識した庭の一部と考えられる。 |
8月6日 |
禁野本町遺跡第172次調査第2回 大阪府枚方市 |
百済寺跡の北側にある同遺跡から、平安時代前期頃の建物群を検出。桁行きが3間以上で柱間が7〜8尺と長く大きい建物が多く、建物主軸は百済寺の南北中軸線とほぼ共通している。 |
8月5日 |
吉田二本松町遺跡 京都大学吉田南構内 |
人物埴輪や馬形埴輪などの形象埴輪および円筒埴輪をともなう紀元5世紀後葉ごろ(古墳時代中期)の古墳を検出。 |
6月19日 |
平城宮東院の発掘調査-平城第481次調査- 奈良市 |
これまでの調査同様、6期以上に渡る頻繁な建て替えが行われていた。出土遺物は軒丸瓦、軒平瓦、火舎の獣脚(銅製および須恵器)、蹄脚円面硯などが出土。 |
6月11日 |
相国寺旧境内・上京遺跡 京都市上京区 |
鎌倉時代から室町時代、戦国時代、江戸時代の遺構を検出。中でも室町時代の遺構からは南北方向の石敷道路や、焼けた瓦・土器などが大量に見つかった。 |
3月5日 |
峯ヶ塚古墳 大阪府羽曳野市 |
全長96m、後円部直径56m、前方部幅74.4mの前方後円墳。前方部の墳丘裾を確認した。 |
2月26日 |
茅原大墓古墳 奈良県桜井市 |
古墳時代中期初頭頃(4世紀末頃)の帆立貝式古墳のクビレ部から盾持人埴輪、埴輪棺が出土 |
2月19日 |
馬場南遺跡(神雄寺跡) 第5次発掘調査 京都府木津川市木津 |
仏堂西側の丘陵上で、3個の礎石と2か所の礎石据え付け痕跡を確認した。4本の柱で屋根を支える1間(6尺=約1.8m)4面の特異な構造の層塔であったと考えられる。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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12月12日 |
越塚御門古墳 奈良県明日香村 |
牽牛子塚古墳のすぐ南から、天井部と床石からなる組合せの刳り貫き式横口式石槨を検出。石槨内から漆膜片も出土。 |
10月16日 |
鈴谷遺跡 京都府長岡京市 |
7世紀中頃から後半にかけての小規模な横穴式石室を検出。玄室には小石が敷かれ、須恵器杯・蓋と土師器甕が埋納されていた。 |
10月16日 |
長尾山古墳 兵庫県宝塚市 |
墳長約40mの前方後円墳。今回の調査では墓坑の内部に長さ6.7m、幅2.7m、高さ1mの粘土槨を発見した。また墳丘北側でクビレ部を検出した。 |
9月25日 |
元稲荷古墳 京都府向日市 |
古墳時代前期(3世紀後半)に築造された前方後方墳(全長94m)。今回は西くびれ部を調査し、前方部では盛土の基部に「基礎地業」を確認した。 |
9月11日 |
牽牛子塚古墳 奈良県明日香村 |
版築で築かれた対辺約22m、高さ4.5m以上を測る八角形墳。裾部には二上山の凝灰岩切石を敷き詰めた犬走り状の石敷があり、更に外側には川原石を敷き詰めた二重のバラス敷を検出した。 |
8月29日 |
長岡京跡・松田遺跡 京都府大山崎町 |
13〜14世紀の集落の一部から、多量の土師器皿・瓦器椀と青磁(せいじ)や白磁、銅製品が出土しました。 |
7月17日 |
平城宮跡東院地区西北部 (平城第469次調査) 奈良市 |
南北を分断する数条の区画、中央の区画を境とした南北で異なる建物群、頻繁な土地造成と建物の建て替えが認められた。 |
7月4日 |
宇佐山古墳群 滋賀県大津市神宮町 |
古墳時代中期前半頃(5世紀前半:約1,600年前)の築造とみられる古墳の石棺から頭蓋骨を発見。頭蓋骨や石棺には赤色顔料が付着していた。被葬者は20〜40歳代の男性、身長は155cmぐらいと推測される。 |
4月17日 |
平城第466次発掘調査 (平城宮東方官衙地区) 奈良市 |
東西方向の築地塀4条、礎石建物3棟、道路1条を検出し、その南では東西溝4条と掘立柱塀5条、掘立柱東西棟建物2棟を確認した。礎石建物が狭い間隔で築地塀を挟んで建ち並ぶという極めて珍しい建物配置。 |
4月10日 |
金津山古墳墳丘 兵庫県芦屋市 |
5世紀後半の全長55mの前方後円墳(帆立貝形古墳)。珍しい二重周濠を持つ。平成22年3月19日に芦屋市指定文化財(史跡)に指定された。 |
3月20日 |
飛鳥寺西方遺跡 奈良県明日香村 |
飛鳥寺西方地域で飛鳥時代の石組溝、土管暗渠、敷石遺構、バラス敷、柱穴などを確認。 |
3月20日 |
甘樫丘東麓遺跡 奈良県明日香村 |
丘陵裾から10mほど高いところで柱列2条を検出。また丘陵の裾部では石敷と素堀り溝、他調査区内で建物5棟、柱列3条を検出。 |
2月20日 | 平城宮跡東院地区西北部 | 東院中枢部からみると北西に位置する今回の調査区周辺で、東西方向の通路と大規模な総柱建物を検出した。また断絶的に6時期にわたって大規模な建物が重複しながら建て替えられていたことが分かった。 |
1月10日 |
難波宮跡 大阪市中央区 |
後期難波宮(726〜784年)大極殿院の東側から建物の基壇跡や凝灰岩の破片、瓦などを検出した。東南新宮の関連施設か? |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
---|---|---|
12月19日 |
伊賀寺遺跡 京都府長岡京市 |
縄文時代中期の遺構から竪穴式住居跡5基と土壙墓(どこうぼ)3基、縄文時代後期の遺構からは土坑3基、埋め甕1基を検出した。 |
11月14日 |
纒向遺跡第166次調査 奈良県桜井市 |
3世紀前半から中頃の遺構から柱穴列を検出。これまでの調査とあわせ、大規模な建物が複数、方位とその軸線を揃えて構築されていたと判明。 |
10月29日 |
桜井茶臼山古墳 奈良県桜井市 |
南北11m・東西約4.8m・深さ約2.9mの墓壙に、水銀朱を塗布した竪穴式石室を検出。また墓壙の周りでは布掘り掘り方を確認し、柱の総数は150本程と推定される。 |
10月3日 |
津堂城山古墳 大阪府藤井寺市 |
宮内庁陵墓参考地の前方後円墳(墳丘長208m、後円部径128m、前方部幅117m)の後円部から、古墳時代の遺構として円筒埴輪列と葺石が、中世城郭遺構からは土塁状遺構が見つかった。 |
8月8日 |
長岡宮第二次内裏「東宮」地区東脇殿 向日市 |
基壇を備えた東西棟の掘立柱建物で、その東端にあたる桁行(東西)3間以上、梁間(南北)2間分を確認した。建物の南側、東側からは凝灰岩縁石の抜取痕跡も検出した。 |
7月18日 |
上里遺跡 京都市西京区 |
弥生時代前期(今からおよそ2,500年前)の遺構から竪穴住居、土坑、土器棺墓、溝、炉跡、柱穴群などが多数検出された。京都市内で弥生時代前期の集落跡が明らかになったのはめずらしい。 |
6月27日 |
教王護国寺(東寺)旧境内 京都市南区 |
平安時代の遺構から堀状遺構や多数の柱穴、緑の釉薬をかけた緑釉軒丸・軒平・丸・熨斗瓦が出土。 |
6月21日 |
甘樫丘東麓遺跡 明日香村 |
7世紀前半〜中頃の遺構から、石垣の南端を確認。前回の調査で検出した石垣を加えると、全長34mになる。 また7世紀後半の遺構からは長さ12m以上に及ぶ石組溝、7世紀末〜8世紀初頭の遺構からは土器の埋設遺構を検出した。 |
6月20日 |
平城第454次調査 奈良市 |
第一次大極殿院広場の礫敷が3層検出された。また東西溝、東西対象の土坑、東西塀、東面築地回廊足場穴なども検出。遺物は乾元重宝、軒瓦など。 |
5月23日 |
新上小阪遺跡 東大阪市 |
弥生時代中期後半の遺構から方形周溝墓と土器棺を検出。また古墳時代の遺構からは溝や土坑、奈良時代から鎌倉時代の遺構からは掘立柱建物跡が見つかった。 |
5月16日 |
私部南遺跡 交野市 |
縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、鎌倉時代の遺構、遺物が見つかった。古墳時代の遺構からは竪穴建物にはかまどの跡、子持ち勾玉などが出土している。 |
2月28日 |
帯解黄金塚古墳 奈良市 |
築造が7世紀中頃と判明。墳丘規模は一辺約30m。墳丘外周では二段の石敷を検出した。 |
2月14日 |
飛鳥京跡 奈良県明日香村 |
橿原考古学研究所からは音声などの公開を禁止されています。 |
2月14日 |
石神遺跡第21次調査 奈良県明日香村 |
斉明朝期の遺跡の東限施設とみられる堀や建物、通路を確認した。 |
2月14日 |
平安京右京六条一坊十四町 京都市下京区 |
平安時代前期(9世紀代)の遺構から建物跡の他、川に向かって東西に並ぶ門状遺構が見つかった。この川では土馬や人面墨書土器、「水取」・「寮」・「厨」銘などの墨書土器が見つかっている。 |
2月7日 |
高麗(こま)寺跡 京都府木津川市 |
7世紀初頭に創建された高麗(こま)寺。南門・中門・金堂が一直線に並ぶ特異な法起寺式伽藍の配置であったことが判明。また講堂基壇が特異な三重構造であることが明らかになった。 |
1月17日 |
馬場南遺跡(神雄寺) 京都府木津川市 |
これまで文献になかった「神雄寺」と書かれた墨書土器が出土。隣接する山林の寺院跡からは等身大と思われる四天王立像を検出。仏堂跡は側柱と心柱のみで建つ特異な構造 |
1月17日 |
巣山古墳 奈良県広陵町 |
約90mにわたって外堤葺石を検出。複数の縦目地を確認を確認し、縦目地を境に石材の大きさが変わる。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
---|---|---|
11月22日 |
新薬師寺金堂跡 奈良市 |
奈良時代の基壇の残存部とその化粧石組の最下段延石列(凝灰岩製)、瓦の堆債する雨落ち構などが検出された。 |
7月6日 |
吹田操車場遺跡 大阪府吹田市 |
平安時代後半の掘立柱建物・溝・土坑等の遺構を検出。黒色土器・土師器・緑釉陶器等の遺物が出土した。 |
6月7日 | 平城431次(中央区第1次大極殿院) | 第一次大極殿院南面築地回廊の調査。回廊基壇には版築層を確認し、回廊の柱列の周囲には掘込地業が確認されたものの、築地塀の直下では地業を施していないことも判明した。 |
5月24日 |
難波大道 大阪府堺市/松原市 |
古代の官道と考えられている「難波大道(なにわだいどう)」を南北46mにわたり検出しました。道幅は約17mで、大和の下ツ道・山田道や藤原京の朱雀大路とほぼ同規模。 |
3月30日 |
平城429次 (東区朝堂院東方官衙地区) 奈良市 |
東西5間、南北2間以上の総柱の礎石建物を検出。総柱で同規模の建物が東西対称に配置されていることから倉庫群とみられ、民部省廩院(りんいん)の可能性が考えられる。 |
3月29日 |
甘樫丘東麓遺跡 明日香村 |
5×3間の総柱建物や5×2間の掘立柱建物を検出。また土坑から7世紀中頃の土器が大量に出土したことから、蘇我氏の邸宅と関わる可能性がある。 |
3月15日 |
瓜破北遺跡 大阪市平野区 |
弥生時代後期未の集落跡や、後期旧石器時代のナイフ形石器、縄文時代前期(約7,000年前)の北白川下層式土器を伴う石器製作址、縄文時代中期(約5,000年前)の船元II式土器が見つかった。 |
3月15日 |
私部南遺跡 大阪府交野市 |
倉庫と考えられる掘立柱建物や竪穴建物を検出。建物の向きから大きく3時期に区分できる。 |
3月8日 |
西京極遺跡 京都市右京区 |
弥生時代後期から古墳時代にかけての竪穴住居を合計17棟確認。弥生時代の竪穴住居からは、白い粘土の固まりや炉、砥石などが見つかった。 |
2月17日 |
恵解山古墳 京都府長岡京市 |
古墳西側では前方部と後円部の境目であるくびれ部から葺石が見つかった。また東側の中段部からは埴輪列が出土。その他、鉄製農具や工具類も出土した。 |
2月16日 |
元稲荷古墳 京都府向日市 |
古墳時代前期(3世紀後半)に築造された全長94mの前方後方墳。東側くびれ部において、葺石と墳丘の外側に広がる礫敷を確認した。 |
2月9日 |
真弓鑵子塚古墳 明日香村 |
6世紀中頃の横穴式石室をもつ二段築成の円墳。石室規模は全長約19m以上で、玄室長は約6.5m、幅約4.4m、高さ約4.7mを測る。 |
1月19日 |
平城第423次(東院地区中枢部) 奈良市 |
5時期の変遷を確認。それぞれの時期において、場所を違えて大規模な建物が造り替えられている。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
---|---|---|
12月22日 |
宇治川護岸遺跡 京都市宇治市 |
豊臣秀吉が文禄三年(1594)から造営を開始したいわゆる「太閤堤」に関係する治水遺跡。石出と、護岸を杭、横木、支え柱で補強した遺構を検出。 |
12月15日 |
石神遺跡 奈良県明日香村 |
石神遺跡中心部の東限と推定できる掘立柱塀を検出。また基幹水路(南北石組溝)が総延長200mを超え、中心部の北限を超えることも分かった。 |
12月8日 |
難波宮 大阪市中央区 |
後期難波宮 五間門区画の南側で、東西に並び南北に平行する柱穴を計7つ検出。区画塀あるいは建物が存在した可能性が出てきた。 |
12月1日 |
上里遺跡 京都市西京区 |
縄文時代晩期の遺構から、竪穴住居、土器棺墓、土坑、大溝、炉跡などが見つかった。土器棺墓には、一個の土器をまっすぐに立てて埋めるもの、斜めに埋めるものや複数の土器を組み合わせるものなどがある。 |
11月17日 |
旭塚古墳 兵庫県芦屋市 |
古墳時代終末期(7世紀)の横穴式石室を持つ古墳。多角形墳の可能性が出てきた。また前庭部や羨道部から、石棺に用いられる竜山石が検出された。 |
10月20日 |
瓜破遺跡 大阪市平野区 |
縄文時代早期末ごろの土器をはじめ、弥生土器、古代の瓦や■(せん:土へんに専)(一種のレンガ)などが出土。 |
10月20日 |
瓜破北遺跡 大阪市平野区 |
約2万8千年前ごろ(後期旧石器時代)の地層から、ナイフ形石器、彫器、削器などが出土。いずれも石刃技法で生産されており、これまでサヌカイトを用いた横剥ぎの技法が主体と思われてきた近畿地方でも、石刃技法が用いられていたことが判明した。 |
9月22日 |
長尾山古墳第1次調査 兵庫県宝塚市 |
猪名川流域では最古の前方後円墳で、墳丘長は約38m、2段以上の築成であることが判明。また出土した埴輪片には、突帯の先端が上方に突出した、初期の朝顔形埴輪片も見つかった。 |
9月17日 |
田中古墳群:36号墳 滋賀県高島市 |
継体天皇の父「彦主人王」の陵墓参考地を中心に43基の古墳が確認されている田中古墳群。その36号墳で確認された横穴式石室は、遺骸を安置する空間を玄室の奥に設けるなど類例が確認されない特異な構造であることが判明。 |
9月8日 |
藤原宮大極殿院南門 (飛鳥藤原第148次調査) 奈良市 |
南門の基壇の規模は、これまで想定されていたものよりも大きい東西39.1m×南北14mとなることが判明。中央部では階段と考えられる張り出しも確認。掘り込み地業と版築も確認された。 |
9月8日 |
宇治川護岸遺跡(太閤堤) 京都府宇治市 |
宇治川堤防東側から、南北75mにわたって石積み護岸を検出。豊臣秀吉が築堤を命じた太閤堤に関係する治水施設であると考えられる。 |
9月1日 |
平城第421次(東院地区中枢部) 発掘調査 |
東院地区において、東院内郭ともいうべき中枢部分を囲う区画施設をはじめて確認。回廊(単廊)に東西棟建物がとりつくものと推定され、この地に平城宮内でも格式の高い施設が存在したことを推測させる。 |
8月25日 | 池田城跡 | 廃城になった池田城を、織田信長が有岡城を攻撃する際に改修したと思われる堀と土塁を検出。堀の幅は5〜6m、深さ2.5mで、断面は逆台形。 |
7月28日 |
平安京左京三条二坊十町跡発掘調査 京都市中京区 |
堀川の東から落込を検出。水が溜まっていた痕跡があることから、舟入または木場と考えられる。落込からは多数の土器類や陶器、陶磁器、木製品、獣骨などが見つかった。 |
6月16日 |
下三橋遺跡 奈良県大和郡山市 |
平城京で十条大路を初めて検出。路面幅は北側溝と南側溝の心々で約15.75m(≒45大尺)。西暦730年頃までには廃絶したと思われる。 |
5月20日 |
勝負砂古墳第7次発掘調査 岡山県倉敷市 |
5世紀後半の帆立貝形古墳。未盗掘の竪穴式石室からは、被葬者の骨、鏡、鉄鏃、刀剣、鉄製よろい、土器、砥石、馬具などが出土。構築の手順は通例と逆で、石室を作ってから墳丘を盛ったことが判明。また石室構築に木材を用いるなど、朝鮮半島の影響が色濃く残る。 |
3月31日 | 石神遺跡 飛鳥藤原第145次(石神遺跡第19次) 奈良県明日香村 |
5時期に渡る遺構を検出。中でも7世紀後半の東西溝は阿部山田道の南側側溝と考えられる。また木簡や墨書のある檜扇なども出土。 |
3月10日 | 百済寺跡 大阪府枚方市 |
西塔北側から大型の掘立柱建物跡を確認。また東面回廊の土坑跡からは青銅片が出土。風鐸の一部の可能性も。 |
3月4日 | 今城塚古墳 大阪府高槻市 |
石室基盤工を検出したことから、横穴式石室があったことが判明。また墳丘は3段築成で、最上段の盛り土内に横穴式石室があったと思われる。 |
2月11日 | 甘樫丘東麓遺跡 明日香村 |
3期に渡る遺構を検出。7世紀前半の遺構からは石垣や暗渠、7世紀中頃〜後半の遺構からは石敷・石組溝、総柱建物が、そして藤原宮期の遺構からは炉が検出された。 |
1月20日 | 私部南遺跡 大阪府交野市 |
弥生時代前期末から中期初頭の時期の集落跡と、古墳時代後期の集落跡が重なって遺存。弥生時代の遺構からは、大型円形住居跡が数次にわたって建て替えられていたことがうかがえる。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
---|---|---|
11月18日 | 国府遺跡(市野山古墳北東部) 大阪府藤井寺市 |
市野山古墳(允恭陵)の東側から、円墳と方墳を各1基検出。またそれに付随する埴輪円筒棺墓3基(調査区全域では5基)も検出。陪塚と思われる。 |
11月4日 |
西飯降II遺跡、丁ノ町・妙寺遺跡 和歌山県かつらぎ町 |
弥生時代の竪穴住居跡や方形周溝墓を検出。また古墳時代の土坑からは須恵器や土師器、紡錘車をはじめ、ほぼ完全な樽形ハソウが出土。 |
10月7日 | 関津遺跡 滋賀県大津市 |
『続日本紀』に記述のある藤原仲麻呂の乱において追討軍が進軍した「田原道』の可能性が高い道路跡と、道路沿いに立ち並ぶ建物群などを検出。 |
9月30日 | 藤原宮朝堂院東第四堂 奈良県橿原市 |
戦前の日本古文化研究所の調査よりも東西の規模が大きいことが判明(古文化研は4間、本調査は5間)。ただしその柱筋は基壇の外側に位置することから、廃絶時は使用されていなかった模様。 |
9月23日 | 内田山遺跡/古墳群 京都府木津町 |
弥生時代の遺構からは火災による炭化した屋根材が出土。古墳時代の遺構からは、ほぼ完全や家型埴輪や埴輪棺、鉄製刀子、川原石の枕などが出土 |
9月9日 | 平安宮正親司跡 京都市上京区 |
平安宮の北西地区にある正親司(おおきみのつかさ)の中心部から、溝、土壙、建物、柵などを検出 |
9月3日 | 見野群集墳 兵庫県姫路市 |
十数基からなる古墳時代後・終末期の古墳群。初の調査で、3号墳は石室の全長が11mを超える。6号墳は1つの墳丘に2つの並列した石室を持つ特異な古墳。 |
9月2日 |
長岡京右京二条三坊八町・九町 京都市西京区 |
一条大路南側溝、築地状施設、掘立柱建物跡などを検出。掘立柱建物には貯蔵用の甕を据え付けた痕跡も。 |
8月26日 | 旧吉備中学校校庭遺跡 和歌山県有田川町 |
弥生時代後期の方形周溝墓2基を検出。また弥生時代中期から後期にかけて竪穴住居跡や大溝を検出。 |
8月26日 | 平安京右京六条四坊八町 ・西京極遺跡 京都市右京区 |
平安時代前期の遺構と古墳・奈良時代の遺構を検出。北西からは同時期の大型掘立柱建物が見つかっていることから、奈良時代には葛野郡葛野郷であったと考えられる。 |
8月12日 | 蔀屋北遺跡 大阪府四条畷市 |
古墳時代中期〜後期(5世紀〜6世紀)の遺構から、黒漆を塗った木製鞍が出土。故地の「河内の馬飼」とみられ、過去に同じ溝から輪鐙とひょう轡なども出土している。また竪穴住居跡や掘立柱建物跡、韓式系土器、陶質土器なども出土。 |
8月5日 | 野田地区遺跡 和歌山県有田川町 |
平安時代中期の遺構から犂(からすき)が2点出土。人形(ひとがた)や斎串(いぐし)も出土していることから、近くに有力者の居住地があったものと考えられる。 |
7月8日 |
一本松古墳・一本松2号墳 奈良県広陵町 |
馬見古墳群で、一本松古墳(前方後円墳)と同時に築造されたと見られる方墳を発見。周溝からは円筒棺墓や埴輪棺墓などを検出した。 |
6月10日 | 平安京右京五条三坊十四町跡 京都市右京区 |
弥生時代から平安時代の遺構を確認。中でも弥生時代の方形周溝墓は全長19×19mで、京都市内では最大級。 |
4月30日 | 芦屋川水車場跡と 城山古墳群第20号墳 兵庫県芦屋市 |
幕末〜近代(19〜20世紀)の水車場跡、および7世紀半ばの横穴式石室を検出 |
4月22日 | 桑原遺跡 大阪府茨木市 |
古墳終末期の群集墳から八角墳が出土。方墳が多い7世紀中葉にこの地域では円墳が多く、大王級に多い八角墳が出土したことから、有力氏族の墓地か? |
3月25日 | 纒向石塚古墳 奈良県桜井市 |
前方後円墳出現期の纒向石塚古墳が、周濠の形状から馬蹄形に近いことが判明。 |
3月25日 |
纏向遺跡第145次調査 奈良県桜井市 |
方形周溝墓2基を確認。出土した埴輪片から古墳時代中期末〜後期前半(5世紀末頃〜6世紀前半頃)と考えられる。 |
3月11日 | 石神遺跡第18次調査 明日香村 |
阿倍山田道の確認を目的に調査。同道の確認はできなかったものの、観世音経と書かれた木簡に「己卯(きぼう)年八月十七日」との記述があった。観世音経の存在を記載した史料の中では、今のところ年代が明示されている最も古い例となる。 |
3月4日 | 平城宮朝集殿院 (平城第399次調査) 奈良市 |
朝集殿院跡から、旗竿を立てたと思われる穴を検出。南北道路の両脇に数十メートルに渡って連なる。 |
2月11日 | 小阪合遺跡 大阪府八尾市 |
奈良〜平安時代の河川跡から、和同開珎をはじめとする皇朝十二銭や、墨書土器などが見つかった。 |
2月11日 | 長岡京右京二条三坊九町・十六町 京都市西京区 |
一条大路の南側側溝と内溝を検出。またその間には柱列があり、大路と宅地を区切る築地状の施設か? |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
---|---|---|
12月3日 | カヅマヤマ古墳 明日香村 |
明日香村ではこれまで確認されていない磚(せん)積石室を持つ終末期古墳。版築によって盛土を行ない、石室内には漆喰が使用されている。土師器、須恵器、漆片、鉄釘、人骨などが出土。石材は吉野川のもの。 |
12月3日 | 北白川廃寺 京都市左京区 |
1934年に建物基壇(東方基壇=金堂?)、そのすぐ西側で1980年に南北の建物地業や礎石(回廊?)が見つかった北白川廃寺。今回の調査では1980年のものに続く建物地業や礎石据付け穴、大量の瓦(白鳳時代(7世紀後半)などが見つかった。 |
11月26日 | 恭仁宮跡 京都府加茂町 |
大極殿のすぐ近くから東西10間、南北4間の大型の建物跡を検出。続日本紀に「仮設の四阿殿で朝賀を行う」とある四阿(あづまやの)殿(との)か? |
11月16日 | 甘樫丘東麓遺跡 奈良県明日香村 |
甘樫丘麓の谷間から、7世紀の掘立柱建物5棟と塀1列を確認。大規模な造成も行なわれており、日本書紀の記述からも蘇我入鹿の邸宅の可能性もある。 |
11月12日 | 池上曽根遺跡 大阪府和泉市 |
弥生時代の巨大集落の中心に位置する巨大建物のすぐ東から、多数の柱穴や土坑を検出。ただし建物とは認められず、鋳型の可能性のある石製品が出土。 |
11月12日 | 上里遺跡 京都市西京区 |
古墳時代の竪穴住居や掘立柱建物、および長岡京期の掘立柱建物や井戸を検出。 |
10月30日 | 長岡宮 京都府向日市 |
朝堂院南面回廊(西側)は、門の両側のみに回廊のとりつく、いわゆる翼廊(よくろう)形式であることが判明。さらに回廊端の礎石建物は、平安宮朝集殿院南門(応天門)に付設された翔鸞楼(しょうらんろう)相当施設の可能性が強い。 |
9月3日 | 庭鳥塚古墳 大阪府羽曳野市 |
古墳時代前期後半(4世紀中頃〜後葉)と推定される前方後方墳から、三角縁四神四獣鏡や筒形銅器などが出土。 |
10月22日 | 恵解山古墳 京都府長岡京市 |
古墳時代中期、全長約128mの前方後円墳。後円部径と前方部幅が同じくらいで、前方部長(主軸方向)も、他の前方後円墳と比べて比較的短いことが判明。 |
10月1日 | 女郎花遺跡 八幡市 |
井戸や柱穴列、池などを検出。大小の古墳が集中する丘陵の端を平地にし、古墳時代からの居住の変遷を知ることができる。 |
9月10日 | 高陽院跡 京都市中京区 |
藤原頼通の邸宅 高陽院跡(かやいん)で池の南岸、大炊御門(おおいみかど)大路の路面、北側溝、築地、内堀などを発見。 |
9月3日 | 下三橋遺跡 奈良県大和郡山市 |
これまで平城京の外と考えられてきた場所に条坊遺構が存在。平城京の南を限る羅城の柱穴を検出した。 |
8月28日 | 今城塚古墳 大阪府高槻市 |
前方部の1段目テラスから埴輪列を検出。南西コーナーは前方部隅の三角形状に曲がるのではなく、途中でほぼ直角に折りまげた形に並べ、台形形となった隅切り状になっていたことが判明。 |
8月27日 | 藤原京朝堂院東第六堂 奈良県橿原市 |
基壇外周部では径10〜20cmの石が並ぶ場所を2ケ所確認。その外側には幅40〜50cmの、石などのない帯状の部分があり、さらに外側には礫敷きが広がっていた。 |
8月27日 | 島庄遺跡 | 文献から蘇我馬子の邸宅や草壁皇子の「嶋宮」があったと想定される島庄遺跡。3ヶ年計画最後の今年、5期に渡る建替えや、密集する建物跡の規模がほぼ確定した。 |
7月16日 | 伶人町遺跡 大阪市天王寺区 |
古墳時代、平安時代、中世、近世に関連する数多くの遺構・遺物を確認。平安時代の掘立柱建物は四天王寺の伽藍に平行。中世(13〜15世紀)の廃棄抗からは多量の貝殻が出土。 |
6月18日 | 平城第389次発掘調査 (中央区朝堂院) 奈良市 |
平城宮跡の中央区朝堂院朝庭の北部から、初めて玉石敷の痕跡を検出。 また平安時代の書物『儀式』に記載されている廻立殿とは異なる規模の東西棟建物が何であるか、新たな課題も見つかる。 |
4月23日 | 平安京左京六条三坊五町跡 京都市下京区 |
史料によって酒屋を営んでいたとされる場所から、200基ほどの甕群を出土。 |
4月16日 | 平安京右京五条三坊三町 京都市右京区 |
平安時代前期(9世紀前半)から中期(10世紀初頭)の遺構から建物跡や埋納遺構、多数の土器、瓦類が出土。 |
3月19日 | 平城第381次 (東院地区楼閣宮殿) 奈良市 |
楼閣や校倉に類例が見られる総柱(そうばしら)建物を検出。建て替えのたびに規模が大きくなり、最終的には6間×6間になったことが判明。 |
3月5日 | ツカマリ古墳 大阪府河南町 |
これまで小さな円墳と思われて来たが、調査の結果、三段築成で東西78.5m、南北45mの巨大な方墳であることが判明。 |
2月20日 | 今城塚古墳 大阪府高槻市 |
7次調査で横穴式石室から延びていたと思われる排水溝が、今回の調査で墳丘内石積の排水溝(暗渠溝)であることが判明。 |
2月6日 | 井手寺跡 京都府井手町 |
橘諸兄の氏寺とされる寺院。伽藍に続く?(あるいは庭園の一部)石敷を検出。また大量の軒平瓦、軒丸瓦、三彩のたるき先瓦も出土。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
---|---|---|
11月7日 | 史跡・名勝嵐山 京都市右京区 |
後醍醐天皇ゆかりの天龍寺の旧境内から、創建時の「霊庇廟(れいひびょう)」の鳥居の柱穴とみられる遺構を発掘 |
10月24日 | 相国寺境内 京都市上京区 |
相国寺の南に位置する御所に給水していた「禁裏御用水」と呼ばれる水路を確認 |
7月24日 | キトラ古墳 | 奈良文化財研究所主催、飛鳥資料館で行なわれた発掘調査の説明会です。 |
7月24日 | 下鈎遺跡 滋賀県栗東市 |
弥生後期の遺構から土製鋳型の外枠、石杵、銅鏃などが出土。 |
7月4日 | 徳川大坂城東六甲採石場 兵庫県芦屋市 |
二つの現場から、徳川幕府によって築き直された大坂城の石垣用の採石場を発掘。長州藩毛利家の刻印も見つかった。 |
6月5日 | 平城第370次調査 | 朝集殿院跡中央部から、儀式の際に旗を立てた跡と見られる柱穴列と、道路側溝が見つかった。 |
5月15日 | 上の山遺跡 大阪府枚方市 |
旧石器時代から中世までの遺構や遺物が出土。今回の説明会では、主に古墳時代前期の竪穴住居跡が公開された。
展示遺物と展示パネルの写真、および説明音声ファイルを公開しています。現説資料は(財)大阪府文化財センターのサイトからダウンロードしてください。 |
4月17日 | 鬼虎川遺跡 東大阪市 |
弥生中期の拠点集落。石器、土製品、木製品、動物遺体などが出土。中でも土偶が出土したことは興味深い。 |
3月20日 | 藤原宮朝堂院東第三堂 | 平城宮と異なり、第二堂と第三堂に規模の違いがあることが判明。(第二堂は南北15間、東西5間であるのに対して、第三堂は南北15間、東西4間) |
3月13日 | 島庄遺跡 明日香村 |
蘇我馬子の邸宅にあったと池と推定される方形池。その南から大型建物跡群が出土。 |
2月28日 | アカハゲ古墳 大阪府河南町 |
これまで円墳と思われていた同古墳は、方墳と判明。墳丘は3段築成で、規模は東西70m、南北40m以上の大型。7世紀に作られたと思われる。 |
2月21日 | 難波宮跡北西部 大阪市 |
一ケ所からの出土としては全国最多の絵馬が出土。さらにこれまで未確認だった難波宮の北限の候補となりえる柱列が出土。 |
2月15日 | 今城塚古墳 大阪府高槻市 |
後円部のテラスで排水溝を検出。また外表施設として葺石やテラス、円筒埴輪列をはじめて検出 。 |
2月7日 | 吉備塚古墳 奈良市 |
奈良教育大学内の円墳?から、刀身に人物像文様などが刻まれた三累環頭太刀が出土。 |
1月24日 | 長原遺跡 大阪市平野区 |
弥生時代から古墳時代にかけての多数の遺構・遺物を検出。弥生時代終末期〜古墳時代初頭のものとしてはめずらしい円形周溝墓(直径11.5m)や、身と蓋の合わせ目を粘土でふさいだと見られる木簡墓などを検出した。 |
1月24日 |
八尾南遺跡 |
竪穴住居・掘立柱建物・井戸・水田などから構成される弥生時代後期の集落を確認した。弥生土器には躍動的な竜の絵も。 |
1月23日 | 大坂城跡 | 前期および後期の難波京の遺構とみられる方形土壙や掘立柱建物が出土。 |
1月19日 |
栢ノ杜遺跡 |
すでに八角円堂と方形堂の跡が確認されている栢ノ杜遺跡。今回の調査では新たに建物の基壇、石垣、溝、石敷きなどが確認された。文献資料に残る「三重塔」と見られる。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
---|---|---|
12月21日 |
岩屋遺跡 |
弥生時代前期(約2300〜2400年前)の堰で、流れを用水路へと変えるための堰や、流れの速度をゆるやかにするための堰など、それぞれ役割の違う堰が同時に出土。 |
12月14日 | 楠・荒田町遺跡 神戸市 |
1180年に平清盛が遷したとされる福原京の有力跡地から、薬研壕(やげんぼり)と箱壕の2重の壕が出土した。 |
12月13日 | 明石大師山古墳群 京都府加悦町 |
弥生時代後期の墓壙を多数確認。現在試掘調査の段階ながらも、様々な階級の人物の埋葬が確認できる。 |
11月22日 | 石神遺跡16次調査 奈良県明日香村 |
国内最古級の木製定規(7世紀後半)や、古代の労役の一種「仕丁(しちょう)」の文字が書かれた木簡などが出土。 |
11月15日 |
平城第365次 (名勝旧大乗院庭園) |
室町時代を代表する庭師・善阿弥が作庭した同庭園。東大池西岸の北と南を調査。江戸時代から明治にかけての変遷を見ることができる。 |
11月8日 | 馬見二ノ谷遺跡 葛城郡河合町 |
剥片や砕片、ナイフ形石器など、旧石器時代の石器が5,000点以上出土。奈良県北 |
10月19日 | 大日山35号墳 和歌山市 |
継体天皇陵と言われる今城塚古墳と同時期の全長96mの前方後円墳。造出部から人物・家・水鳥などの埴輪が出土。特に人物形埴輪は女性と見られ、入れ墨が施されている模様。 |
10月19日 | 唐古・鍵遺跡 奈良県田原本町 |
弥生時代中期中葉(約2150年前)と考えられる大型建物跡を発見。梁間2間(6m)×桁行6間(13.7m)で独立棟持柱を持たず、残存する柱根の太さは最大で径80cm。 |
10月11日 | 巣山古墳 奈良県広陵町 |
全長220メートルの前方後円墳。前方部の西側ほぼ中央部で墳丘から周濠へ張り出す島状遺構を検出。頂上部平坦面からは数多くの形象埴輪が出土。 |
10月4日 | 恵解山古墳 京都府長岡京市 |
1980年の第3次調査で、埋納施設と約700点に上る副葬品の鉄製武器が発見された同古墳。今回の調査で前方部のすそ部に多数の葺石が発見され、従来の想定より大きい、約70メートルの規模であることが分かった。 |
9月13日 | サカイ遺跡・平地山遺跡 奈良県香芝市 |
縄文時代草創期から弥生時代にかけ、約1万年間利用されたとみられる国内最大規模のサヌカイト採掘坑群。 |
9月13日 | 酒船石遺跡(第24−2次) |
酒船石の丘陵東端、南側から石垣状遺構の基礎石と砂岩を確認。丘陵を取り巻く石垣は総延長で700mとなる。 |
8月23日 | 平城第360次調査 | 第1次大極殿院の南面築地回廊跡と見られる基壇と柱列、雨落溝などを検出。 |
8月2日 | 芝山遺跡 京都府城陽市 |
飛鳥〜奈良時代にかけての掘立柱建物14棟以上を検出。企画性をもって「コ」の字形に配され、役所に関係する施設と思われる。 |
7月26日 | 塚之越遺跡 滋賀県守山市 |
琴柱(ことじ)型石製品や鉄製斧が出土。これまでの出土例から、大和政権下の有力者が所持したものと考えらる。 |
7月12日 | 長岡宮朝堂院北方官衙 森本遺跡 |
長岡京の大極殿から北へ400m、朱雀大路に面する官衙区画から、東西6m、南北17m以上の掘立柱建物跡一棟と、柵(さく)一条が見つかった。 |
6月8日 | 下田遺跡 大阪・堺市 |
弥生時代から古墳時代にかけての大集落。竪穴住居、掘立柱建物など計63棟を確認。 |
6月7日 | はさみ山遺跡 大阪 |
飛鳥時代の建物群。4面に庇を持つ大型建物や倉庫、冊列、溝などが見つかった。 |
5月17日 | ホラント遺跡 | 飛鳥京中心部以外から石敷遺構や基壇状遺構などが出土。 |
3月29日 | 桜井茶臼山古墳 奈良県桜井市 |
古墳時代前期前半(4世紀初頭)の前方後円墳。今回の範囲確認調査で古墳や葺石の造築方法が明からになった。 |
3月22日 | 綾部山39号墳(墳墓) | 日本最古とされるホケノ山古墳と同時期で、構造も「石囲い(石塁壁)・竪穴式石榔・木棺」と似ている(ホケノ山古墳は「石囲い・木榔・木棺」)。 |
3月15日 | 藤原宮 | 奈文研による飛鳥藤原第125次調査で、朝堂院東門を初めて確認した。前期難波宮では確認されていないため、藤原宮で初めて造営された可能性が出てきた。 |
3月9日 | 米原町域の縄文遺跡 | 昭和19年までは内湖があったこの地域では、至る所から縄文時代の遺跡が出土。縄文草創期から晩期に至るまで、そしてまた広範囲で出土しているため、時代の変遷に伴う生活様式の移り変わりが垣間見れる。滋賀県米原町 |
3月9日 | 入江内湖遺跡 | |
3月9日 | 入江内湖西野遺跡 | |
3月1日 |
具注暦の展示 (石神遺跡) |
飛鳥時代の689(持統3)年3月と4月の暦の一部を記した木簡が出土。現存する国内最古の暦で、毎日の吉凶を書き添えた具注暦を記載。明日香村 |
2月22日 | 伊勢遺跡 | 弥生時代後期としては国内最大規模の方形竪穴建物が出土。また国内では類例がないものの、朝鮮半島で見られる焼床も。滋賀県守山市 |
2月1日 | 双築古墳 | 古墳時代前期後半(4世紀後半)の権力者クラスのものとみられる円墳から埋葬施設が出土。直径約30メートルで、この時期の円墳が奈良盆地東南部で確認されたのは初めて。奈良県桜井市 |
1月25日 | 十里遺跡 | 弥生時代後期〜古墳時代前期(2世紀後半〜3世紀前半)の土坑墓が150基以上見つかった。半数以上にわらを燃やしてできたとみられる炭が入れられていた。滋賀県 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
---|---|---|
12月15日 | 心合寺山古墳 | 大型の前方後円墳から築造当時の姿をほぼ完全に残した円筒埴輪24個と盾形埴輪1個が出土。大阪 |
12月14日 | 宮町遺跡 | 紫香楽宮跡の「朝堂院」区画で、「正殿」とみられていた建物跡と対になる建物跡は確認できなかったものの、同区画の北で大型建物1棟が確認された。滋賀県 |
12月14日 | 鍛冶屋敷遺跡 | 聖武天皇が紫香楽宮の甲賀寺のために作られたとみられる大規模な銅の鋳造工房跡が出土。天平15(743)年に紫香楽宮で出した「大仏造立の詔」を裏付ける「物証」。滋賀県 |
12月7日 | 恭仁宮跡 | これまでの調査で、大極殿の北側に、東西に並ぶ内裏が確認されているが、今回の調査で内裏東地区の東西の大きさと、東側が土塀(築地塀)であったことが確認された。京都府 |
11月30日 | 今城塚古墳 | 真の継体天皇陵とされる今城塚古墳から、儀礼を再現したらしい埴輪群が並ぶ区画が見つかった。大阪府高槻市。 |
11月24日 | マバカ古墳 | 最古の古墳とされる約4キロ南のホケノ山古墳(3世紀中ごろ)に匹敵する最古級の前方後円墳。奈良県天理市。 |
11月23日 | 石神遺跡 | 天智四(665)年にあたる「乙丑年」と記された最古の木簡が出土。奈良県明日香村。 |
11月16日 | 石守廃寺 | 今から約1300年前の無名の寺院跡から、僧坊(お坊さんの生活した建物)を発見。兵庫県加古川市。 |
11月16日 | 神出古窯趾群 | 古代(十二世紀以前)の須恵器窯としては国内最大の窯跡(十一世紀中ごろ、全長約十三メートル、幅三メートル)を発掘。神戸市西区。 |
10月26日 | 大塚遺跡 | 四世紀の古墳時代前期の竪穴式住居跡から、朝鮮半島で製造されたと思われる陶製の土器破片が多数出土/和歌山県南部(みなべ)町 |
10月19日 | 大塚山古墳 | 銅鐸を多数出土している滋賀県野洲町。一時は円墳とも発表されたが、今回の調査で特異な造出を持つ帆立貝形古墳であることがはっきりした。鶏形埴輪や円筒埴輪なども出土。 |
10月06日 |
北黄瀬遺跡 | 奈良時代に聖武天皇が造営した紫香楽宮の関連施設とみられる井戸跡。この発掘によって紫香楽宮の規模が平城宮跡に匹敵する可能性が高まった。 |
09月07日 |
南所3号墳 | 6世紀前半の横穴式石室。遺体を埋葬する玄室の幅が、天井部分に向かって狭くなる「ドーム形状」など、六世紀前半に造られた石室の特徴が出ている。兵庫県。 |
08月31日 |
興福寺中金堂院 回廊東南の調査 |
中金堂の回廊の東で、門の跡と階段を確認した。この門は中金堂や回廊が焼失する前の江戸時代の絵図に描かれていたが、確認されたのは初めて。 |
08月24日 | 久宝寺遺跡 | 古墳時代初め前後の墳墓(方墳)が19基出土。これまで発掘されたものも含めると30基となる。大阪府八尾市。 |
08月10日 | 膳所城下町遺跡 |
聖武天皇が740年の行幸の際に滞在した頓宮跡と推測できる遺構。 |
08月04日 | 茶すり山古墳 | 近畿最大級の円墳。未盗掘の埋葬施設からは刀剣や甲冑など百五十点を超える大量の鉄器が出土。兵庫県和田山。 |
06月22日 | 闘鶏山古墳 | 未盗掘でほぼ完全な状態で見つかった闘鶏山古墳。朱が付着した頭蓋骨とともに、三角縁神獣鏡2面、方格規矩四神鏡1面の存在を確認。 |
06月15日 | 酒船石遺跡 | 酒船石から南西約150m、飛鳥京跡東外郭の外側から、飛鳥では最大級の石組排水溝が出土。出土した木簡からは、飛鳥京東外郭掘の外側にも役所などの施設が存在した可能性が高くなった。 |
06月08日 | キトラ古墳 | 墓道の現地見学会。南側側壁を運び上げたコロのレール跡を確認。 |
05月18日 | 平城宮跡 | 奈良時代前半の南門の西側から楼閣建物 西楼を確認。すでに確認されている東楼とまったく同じ規模、構造であると考えられる。 |
03月23日 | 巨勢山室古墓 條ウル神古墳 |
日本最大級の群集墳の巨勢山古墳群。巨勢山室古墓からは木炭木槨墓が。そして條ウル神古墳からは石舞台級の石室が発見。さらに動画を公開! |
03月10日 | 水晶塚古墳 中町西遺跡 |
国内最大級、鳥の翼形の木製品が出土した奈良・大和郡山の遺跡。 また水晶塚古墳の現説とあわせて公開された中町西遺跡からは、めずらしい韓式土器が多数出土。 |
03月09日 | シシヨツカ古墳 | 7世紀初頭、最古級の切石積横穴式石室の古墳。国内で初めてという金銀象眼の馬具などが出土。大阪府富田林市。 |
02月17日 | 飛鳥京庭園跡 | 今回は飛鳥京跡の中で2箇所の現地説明会が行なわれた。一つはこのサイトでも公開している外郭の平成14年12月15日に続く第148次調査。もう一つは広大な苑池。 |
02月10日 | お亀石古墳 | 石槨の形からお亀石と呼ばれる大阪・富田林の古墳。これまでは直径約15mの円墳と思われていたが、1辺21mの方墳と判明。近くに新堂廃寺跡があり、飛鳥時代、蘇我氏系の墓と思われる。 |
01月27日 | 下田東遺跡 | 全長約21mという小規模な前方後円墳から出土した馬形埴輪。隣接する遺跡からも大量の須恵器が出土している。発掘はまだ始まったばかりで、今後の成果が期待できる遺跡。 |
開催日 | 遺跡名 | 概要 |
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12月15日 | 飛鳥京跡 | 十何年ぶりという外郭の現地説明会。整備された敷石遺構が発掘された。 |
12月08日 | 伊勢遺跡 | 滋賀県守山市伊勢町集落を中心に広がる弥生時代後期の環濠集落。大型建物跡が円を描くように規則的に配置。またこれまで例のない特異な建物跡も発掘された。 |
12月02日 | 赤土山古墳 | 天理市の北部、東大寺山古墳群を構成する大型古墳。朝顔形および円筒埴輪がほぼ原形のまま出土された。 |
11月17日 | 宮町遺跡 | なぞの多い紫香楽宮。『続日本紀』に記載されている「朝堂」とほぼ断定。 |
09月23日 | 今城塚古墳 | どこから来て、なぜこの地域に墓が築かれたのかなど謎の多い継体天皇。その真の陵墓と言われているのが、この6世紀前半の古墳時代後期に築かれた巨大な前方後円墳。武人や少年、家など多数の埴輪が出土した。 |
08月25日 | 久宝寺遺跡 | 大阪府八尾市にある3世紀ごろの古墳。割竹型木簡がほぼ完全な状態で出土したのははじめて。 |
06月30日 | 藤原京跡 | 約1200点の墨書木簡が出土。各役所が中務省に宛てて出した、宮城から物品を出し入れする通行許可を申請するものや、皇族・貴族との物品のやり取りを示すものが多く見られる。 |