富雄丸山古墳 第3次調査 現地説明会

現地説明会日時
2019年(令和元年)11月30日(土)
調査機関
奈良市教育委員会文化財課埋蔵文化財調査センター

はじめに

富雄丸山古墳は、1972年に奈良県教育委員会による調査が実施され、墳頂部に粘土槨 (埋葬施設) をもつ大型円墳であることが判明しました。明治時代に発掘された副葬品は、現在京都国立博物館に所蔵され重要文化財に指定されています。奈良市教育委員会では2017年度に航空レーザ測量(第l次調査)、2018年度に発掘調査(第2次調査)を行い、直径109mの造出し付円墳(日本最大の円墳)であることがわかりました。

発掘調査成果

造出しの調査

第2次調査で確認した段築の構造が墳丘本体とどのように接続するかを明らかにするために、造出しの北西側にE発掘区を設定しました。

構造

造出し北西側は2段につくられており、平坦面に直径3cm程度の石を敷きつめ、斜面に拳大の石を積み上げた葺石が良好に残存していました。いずれも富雄川の河原石を使用しているようです。上段平坦面は当初の想定よりもハの字にひらいて、墳丘本体側に向かって高くなり、2段目斜面に接続します。下段の平坦面では円筒埴輪列を確認しました。埴輪列は途中で屈曲し、第2次調査で確認した1段目平坦面の埴輪列の標高と概ね一致するため、それに接続するとみられます。埴輪は約10cm間隔で並べられ、普通円筒埴輪のほか、不規則に鰭付円筒埴輪を含めて配置しています。

また、墳丘本体との接続部付近では、墳丘斜面と方向を違える石組を確認しました。屈曲部付近に相当することや他の類例から、墳丘上へ登る墓道の一部となる可能性もあります。

出土遺物

円筒埴輪、鰭付円筒埴輪、形象埴輪(家・盾・蓋)が出土しました。

墳頂部の調査

1972年に調査された粘土槨の正確な位置を確認し、微細な遺物等を再回収するために、第2次調査から継続してA発掘区の調査を行いました。埋葬施設の墓坑l段目の輪郭を部分的に再確認できました。

また、A発掘区東側の試掘調査部分では、墳頂部の中心から約8.5mの位置に高さ約0.8mの段があり、その周囲が一段低くなっていることがわかりました。墳頂部に埋葬施設を構築するための壇が存在した可能性があります。

出土遺物

旧発掘区:埋土から、銅鏡(斜縁神獣鏡) 、鉄器(刀・剣・刀子・鏃)、銅鏃、埴輪(普通・鰭付円筒埴輪)、円板形土製品が出土しました。

発掘調査体験×学生との協働調査

今回の調査では、古墳学習事業として、市民等が参加できる発掘調査体験を同時開催しました。のベ394名の参加者に発掘体験と造出し等の発掘調査解説を行い、埋蔵文化財保護の大切さを学んでいただきました。

また、奈良大学との連携協定に基づく文化財学科の学生、東京・筑波大学で古墳研究を専攻する大学院生と協働して発掘調査を実施することで、調査技術の継承や学術情報を共有し、研究教材としても活用を図りました。

図:富雄丸山古墳の位置
斜縁神獣鏡とは、3世紀頃に中国・朝鮮半島で作られたとされる鏡で、三角縁神獣鏡のモデルとなったとも考えられています。出土したのは突起上の乳と、神獣の脇に配された侍仙像の一部が残る鏡片と考えられます。
発掘区位置図
造出し北西部の葺石・埴輪列
E発掘区の垂直写真
造出し北西部の埴輪列

現場写真

画像を拡大表示した後は、キーボードの左右矢印キーで画像を切り替えられます。

OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影

展示遺物

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説明ビデオ

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