平城第602次 平城宮東区朝堂院東門の発掘調査 現地説明会

開催日
2018年(平成30年)12月15日(土)
調査機関
独立行政法人 国立文化財機構 奈良文化財研究所都城発掘調査部
調査地
特別史跡平城宮跡東区朝堂院地区
調査期間
2018年10月1日~継続中
調査面積
約560m2(南北40m x 東西約14m、うち292m2は既調査区)

概要

  • 奈良時代後半の東区朝堂院東門の基壇規模があきらかになりました。既往調査で判明した南北規模約20m(66尺)に加え、東西規模は推定約10m(33尺)であることがわかりました。
  • 奈良時代後半の東区朝堂院の東西幅が約177mで確定しました。今回の調査で検出した築地塀と雨落溝の遺構から、東西幅は当時の尺度の600尺(500大尺)で計画施工されていたことが確実になりました。

1.平城宮東区朝堂院地区の調査

奈良時代後半の平城宮には、儀式や饗宴の場である中央区と、朝政の場である東区の2つの朝堂院があったと考えられています。東区朝堂院は第二次大極殿院の南側に展開した南北約284m、東西約177mの区画内に、計12棟の朝堂が東西対称に並び、南には南門を構えていました (図1)

東区朝堂院地区では、1980~90年代にかけて、地区東半を中心に発掘調査をおこない、奈良時代前半から後半にかけての朝堂、南門の規模やその変遷、区画を仕切る一本柱塀から築地塀への変遷などがあきらかになりました(図2)。また、東西の建物にかこまれた朝庭部は礫敷や一部で瓦敷の舗装であったことがわかっています。

朝堂院地区の東に開く東門は、1989年の調査(第203次調査)の際に、部分的に調査をおこない、基壇の南北規模があきらかになりました。今回の調査では、基壇の東西規模に加えて、東門の南北に取り付くと想定される築地塀の遺構をあきらかにすることを目的として、調査区を設定しました (図3)。調査は2018年10月に開始し、現在も継続中です。

2.調査の成果

(1)検出した遺構 (図4)

今回の調査では、奈良時代後半の東門基壇、築地塀、雨落溝、朝堂院内に散乱する凝灰岩片の分布域を検出しました。

東門に関する遺構

基壇

調査区中央部で検出した東西約7.5m、南北約20mの基壇。東側は水路によって壊されています。後世に大きく削平され、礎石や根石、据付掘方などは残っていませんが、約20cm分の厚さで基壇の積土を検出しました。

雨落溝

調査区中央部で基壇西半をめぐるように検出した幅1.0~1.2m、東西約4.5m、南北約22m、深さ0.2~0.4mのコの字形の溝。北側の雨落溝は素掘溝で、溝の基壇側に拳大の石列を検出しました。西側の雨落溝では、中央付近で溝の西肩に原位置を保つとみられる凝灰岩の切石を確認しました。南側の雨落溝は素掘溝で、多量の瓦が出土しました。築地塀の西雨落溝と流路は一連で、北から南へ排水します。

築地塀に関する遺構

築地塀

調査区東の南北それぞれで検出した築地塀。基底部幅は約3.0mで、軟質土と礫混じりの硬質土を約10cmごとに交互に積んでいます。築地塀の東西には雨落溝が並行します。築地塀は調査区外の北および南へ続きます。

西雨落溝

調査区北および南の築地塀西側で検出した南北素掘溝。東門の雨落溝に接続し、調査区外の北および南へと続きます。調査区北の雨落溝は、幅約0.7m、深さ0.1~0.2mで、今回の調査では長さ約7.5m分を検出しました。溝の東肩に拳大の石列を検出し、東門の雨落溝で検出し瓦石列と一連と考えられます。後世に溝は大きく壊されていますが、多量の瓦が出土しました。調査区南の雨落溝は、幅約1.0m、深さ0.3~0.5mで、今回の調査では長さ約11m分を検出しました。溝は上下2層にわかれ、ともに多量の瓦が出土しました。

東雨落溝

調査区北および南の築地塀東側で検出した南北素掘溝。調査区北の雨落溝は、幅約0.8m、深さ0.2~0.3mで、北端および東端は後世に大きく壊されていますが、今回の調査では長さ約5.0m分を検出しました。溝からは多量の瓦が出土しました。調査区南の雨落溝は、幅約0.6m、深さ0.1~0.3mで、南端および東端は後世に大きく壊されていますが、今回の調査では長さ約8.0m分を検出しました。溝からは瓦が出土しました。

東雨落溝は東門基壇との交点で溝が途切れることから、西雨落溝と同様に、本来は東門の東雨落溝に続いていたとみられます。

その他の遺構

凝灰岩片の分布域

調査区西南隅で東西5~6m、南北約9mの範囲で、凝灰岩片の分布を検出しました。朝堂(東第三堂)の東側に位置します。礫敷よりも下にあり、東第三堂付近では厚さが約5.0cmで、東に向かって薄くなっていきます。長辺が10cmほどの凝灰岩片もありました。朝堂や東門の基壇外装に関わるものとみられます。調査区外の南へと続きます。

(2)出土遺物

主な出土遺物として、瓦せん類、土器・土製品類などがあります。瓦せん類は、奈良時代前半から中頃を中心とした軒丸瓦、軒平瓦、鬼瓦、隅木蓋瓦が、主に雨落溝から出土しています。土器・土製品類は、土師器、須恵器をはじめ、漆付着土器、円面硯、土馬が出土しています。そのほか、鉄角釘や大型の凝灰岩切石などが出土しています。

(3)東門の基壇規模と築地塀について

東門の雨落溝から想定される東門基壇の南北規模は約20m(66尺)で、築地塀心から基壇西端までの距離を東へ反転させると、当初の東西規模は約10m(33尺)と復元できます。第203次調査では東門の上部構造を、桁行中央間3間をそれぞれ13尺(約3.9m)、桁行端間と梁行を10尺(約3.0m)とする5間×2間の南北棟建物と推定しました。礎石建ちで、周辺から瓦が多量に出土したことから、瓦葺と考えられます。今回の調査であきらかになった東西規模からも、この上部構造の想定の妥当性を追認しました。平城宮内の門と比較すると、東門の基壇規模は、東院地区の東院南門(建部門たけるべもん)の基壇とほぼ同規模であることもわかりました (図5)

築地塀は基底部幅が約3.0mで、雨落溝から瓦が多く出土したことから、瓦葺であったと考えられます (図6)。また東門の雨落溝と流路が一連で、東門周辺では、朝堂院内の雨水を院外に排水せず、そのまま南北方向に流していたことが確認できました。

3.まとめ

今回の調査では次のことがわかりました。

①奈良時代後半の東区朝堂院東門の基壇規模があきらかになりました。

奈良時代後半の東門基壇は、南北規模が約20m(66尺)、推定の東西規模が約10m(33尺)で、東院地区の南門(建部門)基壇と平面規模が同程度であったとみられます。基壇規模から上部構造は桁行5間、梁行2間の南北棟建物と想定されます。

②奈良時代後半の築地塀と雨落溝を検出しました。

奈良時代後半の東区朝堂院の東を区画する、基底部幅が約3.0mの瓦葺の築地塀です。築地塀の西雨落溝では、溝の肩に拳大の石列を並べていたことがわかりました。

③奈良時代後半の東区朝堂院の東西幅がより確実になりました。

東区朝堂院の東西幅は既往の部分的な調査で約177mと想定していました。今回の調査で築地塀の基壇と東西の雨落溝を検出したことにより、東西幅は約177mであることが確定し、東区朝堂院の東西幅が当時の尺度の600尺(500大尺)で計画施工されていたことが確実になりました。

図1
図2
図3
図4
図5
図6

遺構の写真

展示遺物

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北側

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南側

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OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影

説明ビデオ

北側の説明

南側の説明

iPhone X MAXで撮影