井ノ内車塚古墳第9次調査 現地説明会

開催日
2016年(平成28年)11月26日(土)
調査機関
公益財団法人長岡京市埋蔵文化財センター

井ノ内車塚古墳第9次調査 現地説明会資料

公益財団法人長岡京市埋蔵文化財センター
2016年11月26日

1 はじめに

  • この調査は、国史跡乙訓古墳群の1基である井ノ内車塚古墳の主体部解明などを目的に実施しました。
  • この古墳は、長岡京市井ノ内向井芝4に所在する古墳時代後期の前方後円墳です。
  • 調査期間は、平成28年10月3日から12月上旬まで、調査面積は約50m2の予定です。
  • 調査は、平成28年度国庫補助事業として長岡京市教育委員会が実施したもので、現地調査は公益財団法人長岡京市埋蔵文化財センターが担当しました。

2 古墳の概要

井ノ内車塚古墳 古墳時代後期の前方後円墳
規模 全長約39m、後円部の直径約24m、前方部長約17m、前方部幅約26mm、くびれ部 幅約17m、後円部の高さ約3m、前方部の高さ約2.5m(高さは現地表から)
主体部 横穴式石室の可能性、過去に陶棺片採集
外表施設 段築未確認、葺石なし、埴輪(埴輪列未確認)、後円部南西側に造り出し、周溝
埴輪 穴窯焼成、普通円筒埴輪(3条突帯4段)、朝顔形円筒埴輪、形象埴輪(家、蓋、盾、鞆?、巫女、鶏(雌雄)、馬、犬、石見型)
土器 須恵器(TK10型式)、韓式系土器
図1 井ノ内車塚古墳の位置
図2 井ノ内車塚古墳の墳丘と調査区
図3 本調査検出遺構図

3 検出遺構

図4 墳丘と横穴式石室の構築

撹乱坑

 

井ノ内車塚古墳では、後円部と前方部の西側、後円部の南東側の3カ所に大きな撹乱坑が穿たれています。このうち、調査対象とした後円部南東側の撹乱坑が最も古いもので、後述する横穴式石室の石材を抜き取るために穿たれたと考えられます。後円部南東側の撹乱坑は幅約4mで壁面は垂直に掘削されていました。

墳丘盛土

 

撹乱坑の壁面では砂礫を含む黄褐色粘質土、茶褐色粘質土などが互層をなし、盛土によって構築された墳丘の状況を観察できます。また、各所に設けた断割断面では、古墳の基部に黒茶褐色粘質土が認められます。黒茶褐色粘質土より下が地山であり、その高さは標高47.7m前後を測ります。このことから、井ノ内車塚古墳の墳丘は、地山を成形して古墳の基部とするものの、その上の大部分が盛土であることが分かります。

横穴式石室

 

昨年度の第8次調査3トレンチ北西隅では須恵器片が出土し、さらに須恵器片の下では赤色顔料と考えられる土を確認しました。第8次調査によって横穴式石室の存在が想定され、今回の調査によって初めて横穴式石室を確認することができました。

玄室

 

玄室の奥壁は、北東隅で短辺0.2m程度の1石を検出しただけで、石材の大部分が基部まで抜き取られています。東側壁は、奥壁の北東隅から南へ約2.5mにわたって基底付近の石材を検出しました。石材は長辺0.4mまでで、大半が長辺を玄室内に向けて据えられています。一方、玄室の西側壁および玄門付近の石材は、後世の撹乱によってことごとく抜き取られています。このため正確な値は分かりませんが、玄室の規模は奥壁からの長さが約4mで幅が2m程度と考えられます。なお、検出した東側壁の方位から、玄室の主軸は真北に対して約21°西へ振ることが分かりました。

羨道

 

羨道側壁が推定される範囲では原位置を保つ石材がほとんどありません。しかし、黒茶褐色粘質土上面の窪みを石材の抜き取り痕跡と考えれば、その間の平坦面を羨道と考えることができます。

 

以上のように、井ノ内車塚古墳の主体部である横穴式石室は、後世の撹乱によって多くの石材が失われていましたが、おおよその平面規模を推定することができました。また、平面形態については、羨道部と考えられる黒茶褐色粘質土の平坦面の位置や、玄室西側壁が推定される2区における撹乱坑の広がりなどから、芝古墳、井ノ内稲荷塚古墳と同じ右片袖式と考えられます。

石室の構築

 

今回の調査では首長墓における横穴式石室構築手法の一端を明らかにしました。井ノ内車塚古墳の横穴式石室は黒茶褐色粘質土から構築されています。玄室部では東側の壁面より約1.2m外側から黒茶褐色粘質土が0.2m程度掘り下げられ、その中に茶褐色粘質土が充填されていました。そして、茶褐色粘質土の上には黄褐色粘質土が施され、側壁の石材および裏込石を覆う状況が明らかになりました。これらは石室の基底を安定させるための地業といえます。

 

玄室の奥壁から東側壁では、壁面石材の外側で裏込石と考えられる石材と石材抜き取り穴を多数確認しました。裏込石は長辺0.5mを超えるものがあり、壁面より大柄な石材の小口を内側に向け据えられています。裏込石は上下2群に大別されます。下位の裏込石は黄褐色粘質土に覆われ、側壁石材に合わせて水平に据えられています。上位の裏込石は下位より0.5m程度高い位置にあり、墳丘盛土の茶褐色粘質土に覆われていました。その平面位置は下位より後方にあり、壁面の大きな石材が安定するように外傾して据えられています。裏込石および抜き取り穴が確認できるのは、基底石上面から約1.2mの高さまでです。この部分までの墳丘盛土とより上の盛土が異なっていることから、石室構築と墳丘盛土の休止位置と考えられます。天井石と墳丘盛土との関連は分かりませんが、石室より上の盛土は締まりの悪い土であり、石室が丁寧な盛土とともに構築されたことが分かります。

4 まとめ 今回の調査で分かったこと

井ノ内車塚古墳における横穴式石室の発見

 

今回の調査(第9次調査)では、これまで定かでなかった井ノ内車塚古墳の主体部が横穴式石室であることを初めて明らかにしました。昨年度の調査で出土した須恵器は横穴式石室副葬品であり、芝古墳から井ノ内車塚古墳、そして、井ノ内稲荷塚古墳へ、乙訓地域の中央部における後期首長墓の変遷を知ることができました。井ノ内車塚古墳の横穴式石室は、芝古墳、井ノ内稲荷塚古墳の中間的な規模と推測されます。いずれの横穴式石室も右片袖式であることが分かり、継続的に発展した首長の権力を窺うことができます。井ノ内地域から西側の竹薮には、3基の前方後円墳の他にも小規模な古墳や土壙墓などが数多く埋もれています。井ノ内車塚古墳の主体部を明らかにしたことは、後期墓制の階層構造を解明する上で貴重な成果といえます。

横穴式石室の構築状況

 

井ノ内車塚古墳の横穴式石室では、石室構築に伴って基底部に施された地業の状況。さらには、石室の壁体を積み上げる際に据えられた裏込石や、壁体の構築と一体となった墳丘盛土の施工状況をも知ることができました。横穴式石室を持つ首長墓でこのような構築状況を観察できた例は非常に稀であり、当時の築造技術などを考える上で非常に貴重な資料となり得ます。また、これらは石室と墳丘の構築手順ではありますが、当時の人々が横穴式石室を永遠に保てるよう施した造作でもあるのです。

図5 乙訓古墳群分布図
図6 乙訓古墳群編年表
図7 井ノ内車塚古墳 全景(南から)
図8 後円部と横穴式石室(南から)
図9 横穴式石室の検出状況(南東から)
図10 玄室奥壁から東側壁の石材(南東から)
図11 第8次調査3トレ須恵器出土状況(南東から)
図12 墳丘盛土と石室の地業(西から)

発掘現場写真

OLYMPUS E-M1 + ZUIKO DIGITAL ED 9-18mm F4.0-5.6で撮影

展示パネル

OLYMPUS E-M1 + M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZで撮影

主催者説明ビデオ

iPhone 6sで撮影

風景ビデオ

iPhone 6sで撮影