旭塚古墳 現地説明会

古墳時代終末期巨石墳・竜山石(たつやまいし)検出
旭塚(あさひづか)古墳とその周辺
確認発掘調査の成果と説明のひととき

2007年11月17日(土)午後2時〜4時
芦屋市教育委員会(生涯学習課文化財担当)

※このページの文、図は、すべて当日配布の現説資料からの転載です。

芦屋でまだ発堀調査が実施されていなかった第二次世界大戦のころ、20歳に満たない若さで市内を歩き回り、多くの遺跡を記録に残した吉岡昭という人がいました。彼は「芦屋郷土石器時代文化研究」や「考古随録(ずいろく)」という調査記録を残しましたが、その中には城山のふもとで60数基の古墳を記良した部分もあり、注目されます。

(新修芦屋市史資料篇1,芦屋市,1976年から)

『摂津国芦屋郷土石器時代文化研究』の表紙(左)と内容(右)

吉岡 昭著「考古随録」表紙

吉岡昭さんは芦屋育ちの考古学好きの青年で,当時(昭和17年頃)、弱冠17歳でこうした考古記録を残しました。城山古墳群が手に取るようにわかります。

昭和17年の考古古記録
吉岡氏作成の城山山麓遺跡地図(昭和17年)

吉岡氏作成の土器スケッチ(昭和17年)

山本正男氏昭和17年撮影の古墳(山本徹男氏提供)

山芦屋古墳北部隣接地出土の須恵器

吉岡家所蔵の城山山麓出土土器

芦屋名所絵葉書所載の城山古墳(大正年間)

こんな古い絵ハガキにも城山の石室古墳が写っていました。標高も高く、驚きです。

近辺の終末期古墳(神戸大学考古学研究会測量)

生駒古墳といいますか、別称として神戸女子薬科大学構内古墳とも呼ばれています。7世紀の築造。