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興福寺中金堂院回廊東南の調査

はじめに/中金堂院の歴史と回廊の構造回廊基壇/基壇外装と雨落溝階段と門回廊の柱間寸法と中金堂院の設計近世以降の遺構/出土遺物/おわりに興福寺略年表
図:興福寺回廊図:東面回廊 階段平面図遺構平面図既発掘区遺構全図

平城第347次調査 現場説明会資料 020831
興福寺中金堂院回廊東南の調査
法相宗大本山 興福寺
奈良文化財研究所 平城宮跡発掘調査部

発掘調査の成果

回廊基壇

 東面回廊は17間で全長約65m(220尺 奈良時代の1尺≒0.2955m)、中門を含む南面回廊の全長は約84方メートル平(284尺)あります。興福寺の歴史をつづった『興福寺流記(こうふくじるき)』が引く「宝字記」によれば、東面回廊の全長は222尺とあり、今回の計測値と一致しません。今回の調査で検出した部分は、東面回廊南半の桁行(けたゆき)8間分、南面回廊東半の桁行6間分、そのうち東南隅の2間は隅部分です。回廊は既に調査した中門と回廊東北部の成果から推定した位置で検出しました。梁行(はりゆき)は東面、南面回廊とも2間で、回廊基壇の幅は36尺あまり(10.74m)、基壇の出は6尺あまり(1.82m)であったことがわかります。基壇は地山の上にさらに土を版築で積み上げてつくられています。
 礎石が残っていたのは東面回廊中央柱筋の北端と東側柱筋南端の2基のみで、そのほかの柱の位置は礎石の抜取穴(ぬきとりあな)によって確認できました。抜取穴の断面をみると、最初に礎石を据えるための方形の穴(据付穴(すえつけあな))を掘り、底に土をいれて版築でつき固めたあと、礎石のすわりがよくなるように石(根石(ねいし))をおきます。礎石を据えた後、基壇の上に土を一層積み重ねていますが、本調査区の南ではその層がすでに削平されているため、据付穴の輪郭もみえています。中央の柱筋上には凝灰岩の地覆石(じふくいし)が2列にならんだ状態で発見されました。これは中央の壁をうける横材を乗せた部材です。
 基壇そのものの造営年代や修復の時期などは現在調査中ですが、礎石抜取穴からは江戸時代後半以降の
や陶磁器片が出土しています。また一部の抜取穴からはガラス瓶の破片が出土していることから、礎石が抜き取られた時期は江戸時代後半から一部は明治時代以降にまで下る可能性があります。

基壇外装と雨落溝(あまおちみぞ)

 東面回廊西側と南面回廊北側では基壇の側面を飾る外装と雨落溝を検出しました。基壇外装は凝灰岩の切石でつくった地覆石とその上にのせる凝灰岩製羽目石(はめいし)の下端部が一部残っています。羽目石は下端に切り欠きをつくり地覆石にうまく嵌るように加工されています。こうした状況から全体は切石でつくった壇正積(だんじょうづみ)基壇であったと考えます。(右図:壇正積基壇各部の名称)
 雨落溝は地覆石より一段低い位置に川原石を2列に並べて幅約40cmの底石(そこいし)とします。中庭側には溝の側石(がわいし)があり、さらに川原石を平らにしきつめた幅約90cmの石敷きがありました。東面回廊西側の溝では雨水は南にながれ、南面回廊の基壇を南北に貫く暗渠を通って回廊外へ排出される構造です。回廊東側と南側にあったはずの基壇外装と石組みの雨落溝は後世に壊されたために残っていませんでした。

はじめに/中金堂院の歴史と回廊の構造回廊基壇/基壇外装と雨落溝階段と門回廊の柱間寸法と中金堂院の設計近世以降の遺構/出土遺物/おわりに興福寺略年表
図:興福寺回廊図:東面回廊 階段平面図遺構平面図既発掘区遺構全図

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