配付資料
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興福寺中金堂院回廊東南の調査
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|はじめに/中金堂院の歴史と回廊の構造|回廊基壇/基壇外装と雨落溝|階段と門|回廊の柱間寸法と中金堂院の設計|近世以降の遺構/出土遺物/おわりに|興福寺略年表|
|図:興福寺回廊|図:東面回廊 階段平面図|遺構平面図|既発掘区遺構全図|
平城第347次調査 現場説明会資料 020831 |
はじめに
中金堂院の歴史と回廊の構造 興福寺は藤原氏の氏寺として奈良時代はじめに創建されました。最初に中金堂・中門・回廊からなる中金堂院が造営され、さらに周辺に堂塔が建設され、ほぼ奈良時代のおわりまでに主要な建物がそろいました。その後、度重なる火災にもかかわらず、創建当初の規模を維持しながら再建してきましたが、享保2年(1717年)の火災以後は文政2年(1819年)に中金堂のみ仮堂(かりどう)の形で再建されただけで、中門や回廊はついに復興されませんでした(年表を参照)。 |
|はじめに/中金堂院の歴史と回廊の構造|回廊基壇/基壇外装と雨落溝|階段と門|回廊の柱間寸法と中金堂院の設計|近世以降の遺構/出土遺物/おわりに|興福寺略年表|
|図:興福寺回廊|図:東面回廊 階段平面図|遺構平面図|既発掘区遺構全図|
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