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興福寺中金堂院回廊東南の調査

はじめに/中金堂院の歴史と回廊の構造回廊基壇/基壇外装と雨落溝階段と門回廊の柱間寸法と中金堂院の設計近世以降の遺構/出土遺物/おわりに興福寺略年表
図:興福寺回廊図:東面回廊 階段平面図遺構平面図既発掘区遺構全図

平城第347次調査 現場説明会資料 020831
興福寺中金堂院回廊東南の調査
法相宗大本山   興福寺
奈良文化財研究所 平城宮跡発掘調査部

はじめに

調査区位置図 興福寺では1997年に主要伽藍を対象とした復元整備計画をたてました。奈良文化財研究所は興福寺の依頼をうけて、遺構の詳しい状況を把握するために、これまで中門(1998年度)、回廊東北・中金堂前庭部(1999年度)、中金堂(2000・2001年度)の発掘調査をおこなってきました。今回は未調査地の回廊東南部を発掘しています。調査面積は981平方メートル、7月1日より調査を開始し、現在も継続中です。今回の調査により中金堂院回廊の全容がほぼあきらかになりました。

中金堂院の歴史と回廊の構造回廊断面図

 興福寺は藤原氏の氏寺として奈良時代はじめに創建されました。最初に中金堂・中門・回廊からなる中金堂院が造営され、さらに周辺に堂塔が建設され、ほぼ奈良時代のおわりまでに主要な建物がそろいました。その後、度重なる火災にもかかわらず、創建当初の規模を維持しながら再建してきましたが、享保2年(1717年)の火災以後は文政2年(1819年)に中金堂のみ仮堂(かりどう)の形で再建されただけで、中門や回廊はついに復興されませんでした(年表を参照)。
 興福寺の伽藍については平安時代以来いくつかの絵図が伝わっています。とくに江戸時代に描かれた中金堂院の平面図や各建物の実測図がのこっていますので、享保2年焼失以前の状況を知ることができます。絵図によれば回廊は連子窓をいれた壁が中央に通り、その両側に吹き放しの廊下がある複廊の構造であったことがわかります。

はじめに/中金堂院の歴史と回廊の構造回廊基壇/基壇外装と雨落溝階段と門回廊の柱間寸法と中金堂院の設計近世以降の遺構/出土遺物/おわりに興福寺略年表
図:興福寺回廊図:東面回廊 階段平面図遺構平面図既発掘区遺構全図

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