TOP
配付資料
写真館
ムービー
音声ファイル
平城宮第一次大極殿院 西楼の調査

調査の概要検出遺構出土遺物まとめ
奈良時代後半の平城宮と宮内の主な楼閣建物の位置木簡釈文史料付録

平城第337次調査現地説明会資料
8020518奈良文化財研究所 平城宮跡発掘調査部

iko-zu

A期−−「築地回廊をつくった」(奈良時代初め)

 調査区の東側に南門、北側には石を敷いた広場がひろがり、その向こうに大極殿がそびえ立っていました。大極殿院を取り囲む区画施設は、築地塀の両側に屋根をつけて通路とする築地回廊でした。今回の調査区では、その一部である南面築地回廊が見つかっています。
<この時期の遺構・・・築地回廊、基壇、掘り込み地業、礎石据え付け穴、石敷きの広場>

 第一次大極殿院の南面築地回廊を検出。基壇(残存幅18.9m)は版築で造成し、掘り込み地業(基壇南側で確認、現存深約25cm)を伴う(付録参照)。基壇上で、南北2列の礎石据え付け穴列を検出。北で8間分、南で9間分を確認した。南北柱列の中央にあった築地塀は、完全になくなっている。桁行、梁行の柱間は、それぞれ約4.6m等間、約3.5m等間である。
 このほか、B−3期の南北溝の底から、この時期の石敷(直径約7cm)を検出している。

B-1期−−「酉棲をつくった」(奈良時代前半)

 築地回廊の一部を取りこわして、南門の東西に高い建物(東・西楼)をつくりました。築地回廊の北側にとりつく形であったと考えられます(付録参照)。今回の調査区では、西楼が見つかっています。
<この時期の遺構・・・基壇、掘立柱柱穴、礎石据え付け穴宍、石敷の広場>
 築地回廊北側に東西釣27m、南北約9m(現状)の基壇をつきりたし、桁行5間、梁行3間の総柱建物を建てる。A期の築地回廊のうち、南側の桂列はそのまま利用されているが、北側の柱列は新しい建物にあわせて、若干北にずらして立て直す。柱間は、桁行き4.6m等間、梁行き3.8m等間である。外側の16本の柱は掘立柱で、内側の8本の柱を礎石建ちとする。 基壇周囲には、直径5〜10cm程度の石を敷き詰めている。

B一2期−−「石を敷きなおした」 (奈良時代中頃)
 都がいったん平城京を離れ、それにともない、太極殿は移され、東西築地回廊は解体されます。ふたたび都が戻ってきたとき、築地回廊だけは、もう一度つくりなおされました。こうした中で、大極殿院の南辺部分はあまり大きな変化がありませんでしたが、広場の石を敷きなおしたことがわかっています。
<この時期の遺構・・・小石敷の広場、雨落溝>
 基壇北側の石敷き上に、きめの細かい砂をはさんで、直径1〜2cm程度の小石を敷きなおす。現存する築地回廊基壇北縁から北におおよそ0.8m離れた位置に、こぶし大の石を東西に並べて、小石敷きの広場の南端を区画する見切り石とする。この石列と基壇の間に築地回廊北雨落溝をつくる。溝は現状で幅約0.5mである。
 外側の掘立柱のうち1ヵ所は、礎石建ちに変更された可能性がある。変更の時期ははっきりしないが、このころと考えておく。

B−3期−− 「築地回廊と西楼をこわした」(奈良時代後半一天平勝宝5年[753]以降)

 新しい太極殿が東の高台につくられ、もともと大極殿があった場所には、別の宮殿がつくられます。この宮殿の南を区画する施設は、これまでより北側につくられるので、そこからはみ出した南側の部分は、築地回廊も門も東・西楼も取りこわされ、基壇も削られてしまいます。
<この時期の遺構…瓦だまり、柱抜き取り穴、基壇外装抜き取り溝、南北・東西排水溝>
 築地回廊および西楼の基壇の外側には、各所に瓦だまりが残る。西桂と回廊に葺かれていた大量の瓦を、周囲に捨てたためであろう。遺構の重複関係から、柱を抜く作業より前であったことがわかる。
 柱は全て東西方向に抜く。柱は地下深くまで埋められていたらしく、抜き取り穴の探さは、現状で2m以上ある。柱を倒して抜き取るため、抜き取り穴の平面規模も非常に大きく、柱1本につき、最長8.3mにおよぶ。柱掘形はこれより小さかったようで、抜き取り穴がある部分では、地表に全く残らない。南北側柱列では、柱抜き取り穴が隣の穴とつながり、東西に連続して長い溝状をなしており、東西長は北列で34.3m、南列で32.2mにおよぷ。
 築地回廊北側の一部では、基壇外装抜き取り溝を検出した(現状で幅0.3m程度)。
 調査区西半で、桂抜き取り作業の後に掘られた東西、南北方向の溝を検出した。おそらく、一連の工事の中で、排水溝が必要になったのであろう。

C期−−「広場になった」(奈良時代後半)
 かつて大極殿があった場所には、壮麗な宮殿が建ち並んでいます。調査区の周囲は、この宮殿の外側になり、一面に石が敷き詰められてきれいに整地されました。
<遺構・・・石敷きの広場>
 基壇削平後、直径5cm程度の石を、調査区全体に敷く。

調査の概要検出遺構出土遺物まとめ
奈良時代後半の平城宮と宮内の主な楼閣建物の位置木簡釈文史料付録

TOP
配付資料
写真館
ムービー
音声ファイル