五塚原古墳第6次調査 現地説明会 資料

五塚原古墳前方部南東隅角・東側斜面の調査

2014年(平成26年)10月18日(土)
公益財団法人向日市埋蔵文化財センター

所在京都府向日市寺戸町芝山3-1・6ほか
調査期間2014(平成26)年8月4日~10月31日(予定)
調査所管向日市教育委員会
調査機関公益財団法人向日市埋蔵文化財センター(担当 梅本康広・中島信親)

1 はじめに

当センターでは向日丘陵古墳群の保存と活用の方法を探る目的で、五塚原古墳を対象に墳丘の遺存状況と範囲、内容の確認調査をすすめています。

これまでの調査成果からは、五塚原古墳は箸墓古墳をモデルプランとする最古型式前方後円墳のひとつと考えられてきました。墳丘の復原規模は全長91.2m、後円部径54m、同高8.7m、前方部長40.5m、同高2.1~4.0m(くびれ部付近から前方部頂)に推定できます。これまでの調査では段築構造は後円部が3段、前方部は1段で、前方部の形状は「撥形ばちがた」を呈し、細く低平な構造が特徴として考えられてきました。

今年度は前方部南東隅角に第1調査区、東側斜面に第2・3調査区を設定し、墳丘の構築状況や裾位置を正しく把握し、前方部に関する復原イメージをより具体化するために調査を実施しています。

2 調査の成果

〔第1調査区〕

前方部南東隅角の位置と形状及び隅角付近の細部の構造を把握するために設けました。基底石はほぼ水平に並び、その外側まで盛土が広がって上面には礫が敷かれています。葺石の残りは東側斜面が良好で、南側は斜面が長く勾配が急のため崩壊が顕しく、基底石は二石だけがもとの位置で確認できます。隅角は平面形が鋭角に復原でき、斜面勾配はゆるやかにつくられていたとみられます。この付近の葺石が低い角度で施されているのがよくわかります。南側斜面裾の西端では長さ0.9m以上、幅0.5mの集積遺構があり、周辺埋葬等の可能性が考えられます(1a区)。第二段斜面の隅角は、墳丘の流失で失われています。東側斜面では大きくせり上がる「斜路しゃろ状平坦面」とこの勾配にあわせて置かれた基底石が確認できます(1b区)。南側斜面では基底石が3石遺存し、幅0.7mの平坦面が礫敷を伴って検出できました(1c区)。

〔第2調査区〕

前方部前半が先端に向けて大きく広がる変換点を把握するために設けました。第一段斜面長約3.5m、高さ約2.0m、第一段平坦面の幅約1.0m、第二段斜面長約3.0m、高さ約2.0m。墳丘裾の外側約3.0mまでの範囲には厚さ0.1~0.3mの盛土が広がり上面に礫敷が施されています。「斜路状平坦面」は1b区の南端までの約5mの間で約0.7m上昇しています。この勾配に合わせて、第二段斜面の基底石は3~4石ごとに水平面を上下にずらしながら段階的に高低差がつくように並べています。平坦面の礫敷は5㎝程度の小礫を敷き詰めています。

〔第3調査区〕

前方部後半がどこからひろがり始めるのかを把握するために設けました。第一段斜面長約2.0m、高さ約1.0m、第一段平坦面の幅約1.0m、第二段斜面長約2.0m、高さ約1.0m。各段の基底石は北側に向けて小形化し、葺石と変わらなくなり傾斜変換が不明瞭になっていく傾向が窺えます。墳丘裾の外側約6mまでの範囲には、厚さ0.1~0.5mの盛土が施されています。この調査区では前方部先端側と比べて基盤層が約1mも低く、丘陵地形の高低差を解消するために造成土を厚くしていることが認められます。なお、墳丘裾には中世に道路が設けられ、幅1.5m、高さ0.6m程度の土盛りが北西~南東方位に遺存しています。谷筋から古墳に至る人の往来があったものと考えられます。

3 調査の意義

調査成果は、次の4点にまとめることができます。

①前方部の平面形態が細長い「撥形」であることを確認したこと、
②前方部東側斜面は二段に築かれ、途中に設けられた平坦面は墳頂の勾配と同じようにくびれ部側から前方部先端に向けて高さを増していくこと、
③墳丘は凹凸のある丘陵地形を整地して、平坦な基底面がつくりだされて築かれていること、
④古墳に伴う遺物は出土しなかったこと、

①については、くびれ部から前方部側へ約7mまではまっすぐにのび、先端に向けて緩やかに開き、南東隅角は側面と先端の両側が直線的で鋭角になっています。最古型式前方後円墳の特徴とされる、「撥形」前方部の範疇でとらえることができます。前方部前面の幅は約33mの規模に復原できます。

②では、くびれ部付近に平坦面は無く、途中から平坦な面がせり出してくる段築構造に復原されます。この平坦面は、隆起斜道にあたって収束する後円部の第一段目とくらべても約1m低い位置に設けられており、後円部から連続してつながらないことがわかります。また、前方部側の平坦面は水平にまわらず、墳頂上面の傾斜に合わせた角度でくびれ部側から前方部先端に向けてせり上がっています。その高低差は約1.5mまで確認でき、第二段斜面の隅角は流失していますがそれ以上の高さはあったものと推定されます。

③は、墳丘測量図から想定しえた裾位置の内側で、基底石が確認される理由となります。今回の調査でも基底石はすべて盛土の上に置かれており、墳丘の東半分が基底面を標高約61m付近でほぼ水平に揃わせていることがわかりました。したがって、盛土は古墳を築く基盤面を整地するために施されたと考えられます。

⑤今回の調査でも古墳に伴う遺物はまったく確認されませんでした。したがって、前方部墳頂に土器や埴輪が一定量並べられていた可能性はきわめて低くなりました。

以上のことから、五塚原古墳前方部の構造上の最たる特徴は、「斜路状平坦面」に象徴される後円部と分離した前方部の段築構造に集約されるといえます。

本墳の後円部の平坦面はほぼ水平にまわりますが、いっぽうの前方部は勾配をもたせて先端側を高くしています。このような側面観の不整合が生じる理由は、前方部頂を先端に向けて大きくせり上げた形にするためであり、途中の平坦面もこれに合わせる必要があったためと考えられます。

こうした墳丘の築成法は、奈良県桜井市箸墓古墳を典型とする古墳出現期の特徴的な構造ともみられますが、現在までに他の前期古墳では確認されていません。

箸墓古墳の墳丘は、平成24年に3次元航空レーザー測量がおこなわれ、墳丘の構造を立体的に把握できるようになりました。これまで、よくわからなかった前方部の側面について、斜面途中に2ないし3箇所で平坦面の存在が確認でき、その段築構造は前方部上面の傾斜にあわせた角度で構成されていることが明らかになりました。このうち、上段の平坦面は幅を狭くしながらくびれ部まで続きますが、下段は不明瞭になり、後円部と一体的に平坦面がつくられていないことは間違いないようです。

このような段築構造は、奈良県天理市西殿塚古墳になると平坦面の水平化が指向され、後円部とはくびれ部で短く急角度の斜面を介してつなげられ、奈良県桜井市茶臼山古墳では下段の平坦面で後円部と前方部が一体化すると考えられています。顕著な「斜路状平坦面」は墳丘自体をほぼ盛土で築き上げる方法とともに、箸墓古墳築造後の前期古墳には継承されない要素と考えられます。こうした築造法は古墳出現段階にのみ現れた初源的なものである可能性が高いと考えられます。五塚原古墳の構造上の特徴として見いだした前方部の段築構造は、箸墓古墳の築造法と共通するものであり、本墳の築造には箸墓古墳の大きな影響があったことを発掘調査によって具体的に確かめられたと評価できます。

図1
図1 調査区設定図(1/500)

図2
図2 第6次調査区全体図(1/150)

参考図
箸墓古墳墳丘復元案(S=1/2500)
桜井市埋蔵文化財センター『HASHIHAKA - はじまりの古墳 - 2014年より』

参考図
五塚原古墳墳丘側面観イメージ

※「斜路状平坦面」とは、箸墓古墳の航空レーザー測量によって発見された前方部側面の平坦面に与えられた名称である。

※※図2、3は現時点で考えられるひとつのイメージですので、これからの発掘調査によって部分的な修正や訂正が見込まれます。

参考図
箸墓古墳と五塚原古墳の墳丘比較図

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