千提寺西遺跡 現地説明会 資料

2013(平成25)年3月23日(土)
(公財)大阪府文化財センター

説明文

千提寺西遺跡せんだいじにしは、大阪府北部にひろがる北摂の山々の中、茨木市北部の佐保川上流の東側に広がる山間部に位置します。遺跡の標高は約250m前後で、標高510mを測る竜王山の南側にひろがります。

高速自動車国道近畿自動車道名古屋神戸線(新名神高速道路)建設事業に伴い、平成24年1月より公益財団法人大阪府文化財センターが当地域で発掘調査を実施してきました。これまで調査地の西側に隣接する佐保川左芹においては、弥生時代のものと考えられる石器が発見されたことにより、泉原遺跡いずはらが認知されてきましたが、千提寺地区では遺跡の存在が明確に把握されていませんでした。今回の発掘調査をきっかけに、千提寺地区においても千提寺西遺跡をはじめ、日奈戸ひなと遺跡・千提寺南遺跡・千提寺市阪遺跡・千提寺クルス山遺跡が存在することがわかりました。調査は全体で約43,000m2を予定しており、これまでに約29,000m2の調査が終了しております。

今回の発掘調査を通じて、千提寺地区の歴史的な成り立ちをうかがうことができました。谷地形を利用した耕地開発をきっかけに、小規模な集落が営まれるようになったのが平安時代ころのことと考えられます。鎌倉時代になると、この地域の開発はさらに広範囲に及んでいたことが分かります。それとともに周辺の集落に住んだ人たちの墓が、丘陵の尾根筋などに形成され、室町時代から安土桃山時代にかけては、今回の調査で検出したような大規模な景観をともなうものに発展したことがわかりました。

多数検出された墓の中には、キリシタン墓と思われるものが含まれており、当地域が近世初頭のキリシタン資料が集中する場所であることとの関連がうかがわれ、意義深いものと考えられます。


千提寺遺跡群の位置と千提寺西遺跡調査区配置図
(国土地理院発行 25,000 分の1地形図「高坏」に加筆)

【高山右近入城とキリスト教布教】

千提寺地区は、キリシタン大名高山右近たかやまうこんの旧領地で、キリシタン墓碑や聖フランシスコ・ザビエル像などのキリシタン関係の資料が数多く存在することから、『隠れキリシタンの地』として有名なところです。キリシタン信仰が当地にもたらされる以前の中世期は、仁和寺にんなじの荘園の一つである忍頂寺五ケ庄にんちょうじごかしょう銭原ぜにはら村・音羽おとわ村・泉原村・寺辺じへん村・佐保村)のうちの寺辺村に含まれていたようです。

高山右近は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将であり、キリシタン大名として有名です。摂津国三島郡高山庄(現在の大阪府豊能郡豊野町高山)に生まれ、永禄7(1564)年に12歳でキリスト教の洗礼を受けました(洗礼名は「ジュスト」)。天正元(1573)年から天正13(1585)年には高槻城主をつとめ、この間、高槻城に教会が建立されました。天正9(1581)年に行なわれた復活祭には15,000人の人々が参加したと記録されています。

平成10(1998)年に実施された高槻城跡の発掘調査では、現在の野見神社のみじんじゃ東方で、市松状に整然と配置された、大人用と子供用あわせて27基の木棺が出土しました。その中には棺の蓋板に「二支十字にしじゅうじ」といわれる十字架が墨書された例、棺から木製のロザリオ(数珠じゅず状の祈りの道具)が出土した例があったことから、キリシタンの墓地と考えられています。

右近が、忍頂寺五ヶ庄を拝領したのは天正6(1578)年のことです。

天正11(1583)年から天正13(1585)年の3年間には、千提寺地区を含む山間部において集中的に布教活動が行なわれ、改宗が進んだと考えられます。

【現代に伝わるキリシタン遺物】

聖フランシスコ・ザビエル像(重要文化財)

布教のために最初に日本を訪れ、布教の基礎をつくったイエズス会の宣教師の画像。ザビエルの顔の右側に記されているIHSは、イエズス会の紋章の一部です。和紙に彩色されており、作者は日本人とみられます。禁教時代以降もキリシタン信仰を続けた家で、「あけずの堰」と呼ばれ、屋根裏の梁にくくりつけられていた箱の中から発見されました。

マリア十五玄儀図じゅうごげんぎず

2幅発見されており、1幅はザビエル像がしまわれていた箱に収められていました。他の1幅も、孟宗竹で作った筒に収められ、人目を避けてしまわれていました。マリアとイエスの生涯で起こった象徴的な出来事を、「喜び」「悲しみ」「栄福」の三つにわけ、それぞれについて5つずつのエピソードを、コマ割りした画角の中に描きこんだ絵画です。

上野マリヤ墓碑

当地域におけるキリシタン遺跡発見のきっかけとなった墓碑。碑面には二支十字と、上野マリヤの名前が刻まれています。

隠れキリシタン

徳川幕府の禁教令下において、キリスト教の信仰を守り続けた人たち(潜伏キリシタン)や、明治6(1873)年におけるキリスト教解禁後もカトリックに復帰せず、潜伏時代の信仰を守り続けた人たち(かくれキリシタンもしくはカクレキリシタン)の総称。

※配布資料にはザビエル像などのカラー写真が掲載されています。大阪府文化財センターHPのPDFを御覧ください。

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