馬場南(ばばみなみ)遺跡現地説明会資料
京都府埋蔵文化財研究センター
平成21年1月17日(土)
(財)京都府埋蔵文化財調査研究センター
〒617−0002 京都府向日市寺戸町南垣内40−3
URL http://www.kyotofu-maibun.or.jp/
今回の発掘調査は、関西文化学術研究都市木津中央特定土地区画整理事業に伴い実施しました。馬場南遺跡は京都府の南端に位置する遺跡で、平成19年度に試掘調査を実施した結果、奈良時代の遺構・遺物がみつかったことから、今年度、本調査を実施しました。
馬場南遺跡は、文廻(ぶんまわ)り池東方の谷部分に位置しており、平城宮や東大寺から奈良山丘陵を越えて泉津(いずみのつ)(現在の木津川市木津にあった平城京の外港)に至る幹線道路沿いにあたります。
奈良時代中期〜後期の掘立柱建物跡3棟のほか、柵・井戸跡・川跡・溝などがみつかりました。掘立柱建物跡SB01は、調査地北部の高台(平坦面1)にあります。東西3間(8.1m)、南北2間(4.2m)で南と東に庇(ひさし)を設けています。もともと自然の川であったSR01の西岸を埋めて建物の東庇を作ったようです。この建物の南西には大きな広場があります。掘立柱建物跡SBO2は調査地東部のやや高い面(平坦面2)にあります。東西2間(4.2m)、南北3間(7.2m)で、奈良時代後期には、これに変わって東西5間(13.5m)、南北1間(3.9m)の掘立柱建物跡SB03が建てられます。柵SA01も同じ平坦面2にあり、長さ11.2mを確認しています。井戸跡SE01は掘形が一辺3m、井戸枠が一辺1mの方形で、いわゆる井籠(せいろう)組で横板を組んで作られています。
川跡SR01は、据立柱建物跡SB01が立地する平坦面1の東側から南側に屈曲して流れています。幅4〜5m、深さ1〜2mを測ります。自然の川の一部を掘り直して丸太などで護岸しています。また、調査地西部には堤を設け、樋を設置して、水位の調節をしていたようです。溝SD2002は、SR01を掘り直した幅2m、深さ0.5mの溝です。
出土遺物は種類も量も豊富です。
西暦 | 和暦 | おもなできごと | |
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710 | 和銅3 | 平城京遷都 | (奈良前期) (奈良中期) (奈良中期〜後期) |
711 | 和銅4 | 法隆寺五重塔塑像群成る | |
726 | 神亀3 | 興福寺東金堂建立。須弥壇の上面を飾っていた「瑠璃地」あり。 | |
729 | 神亀6 | 長屋王の変 | |
737 | 天平9 | 藤原四家(4月房前・7月武智麻呂・麻呂・8月宇合)死す。 9月、橘諸兄大納言に。 |
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740 | 天平12 | 5月、聖武天皇が橘諸兄の相楽別業に行幸 10月、藤原広嗣の乱、天皇東国巡幸 12月、天皇恭仁に行幸し、恭仁宮の造営を開始(恭仁京遷都) |
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741 | 天平13 | 国分寺・国分尼寺建立の詔 | |
744 | 天平16 | 2月、難波宮を皇都とする。12月、金鐘寺(東大寺の前身)および朱雀大路で燈1万坏を燃やす(撚燈供養) | |
745 | 天平17 | 平城京遷都。行基、大僧正となる 天皇休調不良。京・畿内の諸寺および諸名山浄処で薬師悔過(けか)を行う |
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746 | 天平18 | 大伴家持、越中守に任じられる。 天皇、金鐘寺に行幸し、大仏の前後で燈1万5千7百余坏を燃やす(燃燈供養) |
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749 | 天平勝宝元 | 孝謙天皇即位 | |
752 | 天平勝宝4 | 東大寺大仏開眼供養 | |
757 | 天平宝字元 | 橘奈良麻呂の変(変が起こったのは、天平勝宝9年6月。改元は8月。 | |
763 | 天平宝字7 | 伊勢国多度神宮寺創建 | |
764 | 天平宝字8 | 恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱。道鏡の台頭 | |
767 | 神護景雲元 | 平城宮東院の玉殿完成。その殿舎に瑠璃の瓦を葺く。 | |
770 | 宝亀元 | 光仁天皇即位。 | |
782 | 延暦2 | 宮殿・寺院の造営停止。 | |
784 | 延暦3 | 長岡京遷都 |
奈良時代の調査地周辺図
(鬼頭清明『木簡の社会史』より一部改変)
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