真弓鑵子塚古墳(まゆみかんすづかこふん) 現地説明会資料

平成20年(2008年)2月9日(土)
明日香村教育委員会

※このページの写真、文、図は、すべて当日配布の現説資料からの転載です。

目次

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はじめに

真弓鑵子塚古墳は越峠付近から北西に伸びる丘陵の先端に築かれた後期古墳です。

周辺にはカンジョ古墳や与楽鑵子塚古墳など穹窿状(きゅうりゅうじょう)の横穴式石室を有する古墳が点在しており、またミニチュア炊飯具など渡来系と考えられる遺物がスズミ1号墳や与楽古墳群、白壁塚古墳などから出土しています。

真弓鑵子塚古墳については大正時代に刊行された『高市郡古墳誌』の中で「・・石櫛の中央に大なる玄室を有し、前後には何れも東側壁に接して各一個の羨道を有し、もと北方だけ僅に葡蔔して内部に潜入し得べき口を開いてあったが、大正2年8月15日奈良縣史蹟調査會から之を發掘した故に、現今は両口開いて居る・・」と記されています。

昭和37年には末永雅雄氏を中心とした後期古墳研究会によって石室内を埋め尽くしていた土砂が搬出され、石室の実測調査が行われました。

そして今回、真弓確子塚古墳の重要性を鑑み、全貌解明に向けた範囲確認調査を実施しています。調査面積は約200m2です。

検出遺構と出土遺物

【墳丘】

北西に伸びる丘陵を大きく造成し、岩盤を削り出して盛土を行っています。墳丘規模は直径約40m、高さ約8mの二段築成の円墳と考えられます。

【埋葬施設】

貝吹山周辺で採れる石英閃緑岩の巨石を用いた穹窿状の横穴式石室です。

石室規模は全長約19m以上で、玄室長は約6.5m、幅約4.4m、高さ約4.7mを測ります。石室床面には幅約30cm、深さ約7cmの排水溝が設けられています。

石室の平面プランについては石室の東壁が直線的で、西壁側に約2m分張り出した片袖式の構造となっています。

また玄室から続く北側には奥室的な機能をもつ羨道状の施設が設けられています。

石室の壁面構成は巨石を6〜7段積み上げ、3段目以降は急激な持ち送り(穹窿状)となっており、天井石は巨石3石を架橋しています。

羨道部分では人頭大の石材を用いた閉塞石を検出しています。

【地震痕跡】

墳丘の北側と南側にかけて地滑り跡を確認しています。

また玄室床面にも複数の亀裂が走っており、側壁の一部にも亀裂が生じています。

このような地滑り等を誘発した背景には、南海地震の影響が考えられます。

【出土遺物】

出土した遺物には土師器、須恵器、銀象嵌刀装具、玉類、金銅製装飾金具、金銅製馬具、鉄鏃、鉄釘、凝灰岩片などがあります。

まとめ

今回の調査は真弓鑵子塚古墳の本格的な調査となり、以下、調査成果をまとめると

写真

表紙写真

遺跡分布図

墳丘(西から)
墳丘(西から)

玄室東側壁(西から)
玄室東側壁(西から)

石室全景(北から)
石室全景(北から)

石室全景(南から)
石室全景(南から)

天井石(真下から)
天井石(真下から)

羨道閉塞石(北から)
羨道閉塞石(北から)