纏向遺跡第145次調査

纏向遺跡第145次調査
2006年3月25日(土)
桜井市教育委員会

1 はじめに

桜井市の北部に位置する纏向(まきむく)遺跡は、古墳時代前期(3世紀〜4世紀前半頃)の大規模集落遺跡として全国的にもよく知られています。遺跡は南北約1.5km、東西約2kmの範囲に及ぶ広大なもので、30年以上にわたって実施されてきた発掘調査によってその重要性が明らかになりつつあります。今回はその第145回目の調査となります。

図1 調査地の位置図(S=1/5000) 図2 調査区の概略図(S=1/300)

2 纏向遺跡の性格

纏向遺跡の大きな特徴としては、以下の2点を挙げることができます。1点目の特徴は、南東地方から九州地方までにおよぶ日本列島の広い範囲から持ち込まれた土器が出土することです。このことは、纏向遺跡の人々が日本列島各地の人々と交流を持っていたことを示しています。

2点目としては、箸墓古墳や纏向石塚などの出現期の前方後円墳が複数築造されることが挙げられます。このほか護岸された人工水路の存在も明らかになっており、当時の纏向遺跡の人々が高度な土木技術を持っていたことがわかっています。

このような特徴は、古墳時代前期の集落遺跡で一般的に見られるものではありません。その特殊性から邪馬台国の候補地、あるいは日本最初の「都市」とする考え方も見られます。いずれにしても纏向遺跡の集落は、3世紀代の日本列島の中でもきわめて重要な集落であったと言うことができます。

3 第145次調査の成果

調査の概要

纏向遺跡第145次調査は、遺跡範囲内の西寄りの位置にめたる大字東田(ひがいだ)において、平成18年2月7日より実施しています。調査地のおよそ80m西には東田大塚古墳が、北側約200mには矢塚・石塚などの 「纏向型前方後円墳」と呼ばれる墳墓が存在します。また周辺で実施された過去の調査では、古墳時代初頭を中心とする時期の遺構が数多く見つかっており、JR巻向駅西側にあたるこの一帯が集落の中心地であったと推定されています。

調査区は南北43m、東西4mの規模で設定し、その後部分的な拡張によって遺構の状況を確認しました。主な遺構としては、古墳2基(ヤナイタ1号墳・2号墳)、古墳時代前期の士坑2基(土坑2・土坑4)、自然流路などが挙げられます。

ヤナイタ1号境・2号境

調査区の北側部分において、2基の古墳が確認されました。いずれも後世の開発により墳丘の大部分が失われていますが、墳丘の周囲を巡る溝や埴輪片が残存しており、2基の方墳の存在が明らかになりました。このうち南側に位置する2号墳の周囲では、円筒埴輪や朝顔形埴輪の破片が見つかっています。これらの埴輪から、2号墳の築造時期は古墳時代中期末〜後期前半(5世紀末頃〜6世紀前半頃)に考えられます。1号墳の周囲では埴輪は見つかっていませんが、周溝の埋土に切り合い関係が見られないことから、1号墳もまた同様の時期に築造されたものと推定されます。

土坑2

ヤナイタ2号墳の周溝底で確認された径1.2mの円形の土坑で、検出面からの深さは約1mを測ります。土坑の南側には、水を引き込むためのものと考えられる溝が確認されました。

土坑の底面では甕や高杯・砥石が見つかっており、埋土中からは編みカゴが出土しました。士坑の性格についてはよくわかっていませんが、掘削が湧水層に達していることから、井戸のような用途を持つものと推定されます。掘削時期は、出土した土器から3世紀前半〜中頃に考えることができます。

土坑4

ヤナイタ2号墳の墳丘部分で確認された円形の土坑で、その規模は径約2.1mを測ります。検出面からの深さは1.2mで、底面付近では甕や鉢などの土器のほか、土製支脚が4個体以上見つかっています。土坑2と同様に湧水が見られることから、井戸のような用途が推定されますが、埋土内に一部が炭化した木片が含まれるなどの特徴が見られました。炭化した木片が出土する土坑はこれまでにも複数みつかっており、土坑周辺で火を使用するような祭祀行為が行なわれたと推定されています。

なお土坑の掘削時期については、出土遺物から土坑2よりもやや新しい3世紀後半頃に考えることができます。

自然流路 調査区の南半部分では、古墳時代前期の流水堆積層が確認されています。ここには比較的多くの土器片が含まれており、主に古墳時代前期前半頃(3世紀後半〜4世紀初頭頃)に流水があったと推定されます。出土土器片の中には、東海系などの外来系土器が複数含まれていました。

4 まとめ

纏向遺跡の発掘調査は今回で145回目を数えますが、その全体像は未だ不明瞭であると言わねばなりません。そのような中で、第145次調査では、3世紀代から6世紀頃にかけての遺構が複数確認されました。

2基の土坑は、纏向遺跡の集落が最盛期を迎えた時期に属するものであり、当時の集落内の様相や祭祀の形態を考える上で貴重な資料となると考えられます。また外来系土器の存在は、近畿地方以外の地域との活発な交流を物語るものとして注目されます。ヤナイタ1号墳・2号墳は小規模な古墳ではあるものの、大規模集落が衰退した後の纏向遺跡の姿を考える上で参考になるものと言えます。

今回の調査成果は、纏向遺跡の一断片を示すに過ぎませんが、これまで考えられてきた遺跡の性格を再確認する結果となったと言うことができるでしょう。