TOP
配付資料
写真館
ムービー
音声ファイル
唐古・鍵遺跡 第93次調査

航空写真遺構配置図と写真大型建物跡遺構図と写真説明文

田原本町教育委員会
2003年10月19日(日)

はじめに

 唐古・鍵遺跡は、奈良盆地のほぼ中央、標高約48.Om前後の沖積地に立地します。弥生時代を代表する環濠集落で、その占有面積は約30万平米に達します。現在までに、96次に及ぶ調査が行われてきましたが、特に昭和11・12年に唐古池で行われた第1次調査は、弥生土器とともに炭化米、木製農具が出土し、弥生時代が稲作農耕文化であることを証明しました。近年の発掘調査では、楼閣絵画土器や青銅器鋳造遺構、大型建物跡を検出し、「弥生都市論」への話題を提供しています。

 これまでの調査成果から、遺跡の成立は弥生時代前期で、自然地形の高まりに応じて分散する西・北・南の3つのムラから始まったようです。この3つのムラは、弥生時代中期中葉に全体を囲む大環濠の掘削によって統合されます。ムラの周囲を巡る多条の環濠(環濠帯)は、幾度かの再掘削を経て古墳時代初頭まで継続しています。

調査の概要

今回の調査は、遺跡内部の実態解明を目的とした内容確認調査です。調査地は、環濠内部の西地区にあたり、弥生時代中期中頃の大型建物跡とともに、弥生時代中期から古墳時代初頭までの溝や井戸を検出しています。

1.区画溝について

 区画溝1114は北東から南西方向に走向します。溝は、今回の調査区の末端に沿って南北へ伸び、北側は第80次調査区へと続き、南側では西側への溝が派生しています。その検出総延長は約60mです。溝は、弥生時代中期中葉(2150年前)に掘削され、弥生時代終末(1800年前)まで再掘削を繰り返し開口しています。度重なる掘削によって、溝幅4m、深さ1mの規模になっています。この清からは、第80次調査で大型の勾玉を2個人れた褐鉄鉱(かってっこう)容器が出土しています。この溝を境として地形は、東側が低く、西側が高くなっています。このような区画溝に軸を合わすように、大型建物跡は建っているのです。

2.大型建物跡について

 大型建物跡は、北東から南西方向に軸をもつ梁間(はりま)2間(6m)×桁行(けたゆき)6間(13.7m)の建物です。独立棟持柱をもたない長方形の建物で、床面積は82.2平米(タタミ約50畳分)もあります。柱列は、建物中央と東西両側の3列に並び、中央柱列は6本、東西両側の柱列は基本的に7本の柱があります。東側の柱列には、基本となる7本の間にさらに3本の柱が据えられていました。この点については、基本となる7本の柱と間の3本の柱では、柱根底面の深さが前者よりも後者が浅いことから、後者は後に添えられた柱と考えています。残存する柱根の太さは最大で径80cmもあり、弥生時代の柱としては最大級のものです。これらの柱材はすべてケヤキ材です。また、この柱を据えるために掘りこまれた柱穴の大きさは長さ3m、幅1.5mもあります。大型建物は、柱穴から出土した土器から、弥生時代中期中葉(約2150年前)に建てられたと考えられます。

まとめ

 今回の大型建物跡は、弥生時代中期中葉、大環濠に囲まれた唐古・鍵ムラの西地区中枢部末端で建てられた建物として注目されます。このような大型建物跡は唐古・鍵遺跡では2例日ですが、前回(第74次)の建物のような独立棟持柱をもたない構造で、その性格は異なる可能性があります。唐古・鍵の大集落には種々な機能をもった施設が配置されていたと考えられ、今後、周辺の調査によって明らかにされることでしょう。

航空写真遺構配置図と写真大型建物跡遺構図と写真説明文

TOP
配付資料
写真館
ムービー
音声ファイル