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十里遺跡

説明文調査区位置図調査地遺構図出土遺物実測図

栗東市教育委員会
(財)栗東市文化体育振興事業団

十里遺跡発掘調査概要

調査名 十里遺跡発掘調査(02RlO1-01)
調査地 滋賀県栗東市十里397−1・398−1・399・399−3
調査原因 (仮称)コミュニティーセンター建設
調査主体 栗東市教育委員会
調査機関 (財)栗東市文化体育振興事業団
調査担当 近藤 広(栗東市文化体育振興事業団・文化財センター)
調査期間 2002年7月22日〜調査中
調査対象面積 3572平方メートル

1.はじめに
十里遺跡は、栗東市のもっとも北西端に存在する遺跡で、中小河川である横津川の右岸に広がる遺跡である。
調査区位置図
 過去の調査では、本調査地から東へ約200mいった地点で1991年度に2カ所の調査が行われ、弥生後期から古墳時代初頭の方形周溝墓、河川、土坑、などが確認されている。また1998年度には南東約200m先で、飛鳥時代の区画溝、建物などが確認された。溝からは多くの祭祀遺物とともに木簡が出土し注目を集めた。その後2000年度には、本調査地すぐ北〜東隣りの調査が行われ、弥生後期から古墳時代前期の河川、溝、土坑約160基が確認されている。

2.調査の概要

1)みつかった遺構 遺構配置図
〔弥生後期から古墳時代前期・約18OO年〜1850年前〕
河川(SR)…深さ約1.4m、幅約5〜10m、長さ60m強を測り、隣接地の調査を含めると総延長約125m確認できたことになる。ところどころに人工成形した跡がみられ、とくに東端と西端が南に張り出し、浅くテラス状になっている。
小溝…河川に沿って北側に4条(SD2〜SD5)、南側に土坑群を挟んで1条(SDl)存在する。幅0.3〜1m、深さ10〜20cm程度の比較的浅い溝で、場所によっては耕作痕や人間の足跡も確認されている。
大溝(SDlO)…調査区南端に存在し、深さ20〜30cm、幅約1.5〜2.5m、長さ30m強を測る。
土坑…150基以上確認されている。大きさは、0.4〜1m、深さ約10〜45cmを測る。平面形は、円形、楕円形のものが存在し、埋土中に炭(表面観察からわらのようなものが炭化したものと思われる)が入っている土坑が半数以上認められる。性格としては、大半が墓(土坑墓)と考えられる。
梁状遺構…大溝(SDlO)の東側では、溝中4カ所に土坑が認められ梁のような役割を果たしていたと考えられる。
〔平安時代後半・約1000年前〕
井戸(SE)‥・河川の中央付近と大溝(SDlO)の北側に存在する。前者SE−1は、大きさ2.8×2.8m、深さ1.3mを測り、平面形は隅丸方形である。後者SE−2は、大きさ3.9×4.Om、深さ1.4mを測り、平面形は隅丸方形である。

2)みつかった遺物
弥生土器・古式土師器
、高坪など。他地域の系統をもつ土器あり。
黒色土器…椀
石器
石鏃、石匙、石斧
土錘…両側に孔があり
有孔土錘と呼ばれている。瀬戸内から大阪にかけてよく見られるもので、滋賀県では通常ほとんど出土しないものである。
木器…杭、建築部材ほか用途不明なものあり。

3)土坑墓群について
土坑が多数確認されている場合、粘土採掘坑か土坑墓と判断されることが多い。本調査で確認された土坑群を土坑墓と判断した理由として、(1)粘土採掘坑には、意識的に炭を入れることはないこと、(2)土坑群が存在している場所(河川の南岸に沿って南北約20m強、東西推定375m以上の範囲)が決められていることなどがあげられる。土坑墓に炭を入れる例として野洲町小篠原遺跡があるが、脂肪酸分析の結果から土坑墓と判断されている。時期については、弥生後期後半から古墳時代前期(推定2世紀後半〜3世紀後半)の約100年間に限られる。

3.発見の意義
1)150基以上確認された土坑群は、一般大衆・庶民クラスの墓(土坑墓)の集まりであり、研究が進んでない当時の埋葬形態などを知るうえで重要である。
・土坑墓群の時期は、中心集落である下鈎遭跡、伊勢遺跡、下長遺跡とほぼ同時期であるが、周囲に方形周溝墓は確認されているものの、土坑墓群は確認されていない。とくに下長遺跡は十里遺跡と比較的近距離にあり、土坑墓群を形成した集団との関連が注目される。
・墓の形態、規模、出土遺物の有無、形成の仕方が地区によって差がみられる。

2)他地域の形態をもつ土器や有孔土錘の存在は、広い地域間交流を示すものである。

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