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大日山35号墳

説明文岩橋千塚古墳群 古墳分布図調査区配置図

財団法人 和歌山県文化財センター
関連サイト:紀伊風土記の丘
2003年10月19日(日)

はじめに

 和歌山県では、平成15年度から「緑の歴史回廊」事業として、紀ノ川流域の文化財の整備・活用を進めています。その一つとして、大日山35号墳の保存整備を行うことになり、その基礎資料を得るために今回の発掘調査を実施しました。

写真1 岩橋千塚古墳群(『岩橋千塚』より引用)

 大日山35号墳は、700基あまりの古墳で構成された岩橋千塚古墳群の一つですが、この古墳群は全国的にみても非常に貴重な歴史遺産であるため、昭和27年に国の特別史跡に指定されています。
現在、指定地内には413基の古墳が確認されていますが、これを保存し後世に伝えるとともに、多くの方々が歴史を学び親しむ場として整備してゆく必要があります。

 大日山35号墳につきましても、今回の調査成果を基に整備して行きますので、再び訪問していただきますよう、皆様にお願いいたします。

調査の概要

写真2 羨道部須恵器出土状況

 

石室

 古くから大日如来が祀られるなど、石室が転用されていたために埋葬当時の状況は遺存していませんでした。堆積していた土砂を除去したところ、供献されたとみられる須恵器が羨道(せんどう)部で多数出土しましたが、これらは原位置を保っていませんでした(写真2)。須恵器は、器台4点以上、高杯3点以上が出土しています。6世紀初頭〜後半の時期のものが認められますので、追葬が行われた可能性が考えられます。石室からは、このほかに小札(こざね)や鏃(ぞく)とみられる鉄製品の破片も出土しています。石室の土砂は持ち帰って篩(ふる)いにかけますので、整理作業を通じて副葬品の小片が発見されると思われます。今後、副葬品の様相がある程度復原できると考られます。

墳丘

 墳形、墳丘規模および前方部石室の有無などの確認するために12箇所のトレンチを設定しました。ここでは主なトレンチの成果について記します。

写真3 1トレンチ 1段目テラス 馬形埴輪

 1トレンチ 3段の段築と多数の埴輪を検出しました。1段目テラスでは円筒埴輪列を検出し、2段目テラスでは円筒埴輪列のほか、原位置を保っているとみられる人物・家・水鳥などを含む形象埴輪群を検出しました(写真4)。この形象埴輪群が発見された場所は、埴輪の樹立状況や測量図から造り出しであることが判明しました。また、形象埴輪群の一角には須恵器の大甕が据えられていますが、これは近隣に所在する井辺八幡山古墳の状況と類似しています。さらに、2段目斜面〜1段目テラスでは造り出しから転落したとみられる馬形埴輪(写真3)や蓋形埴輪、円筒埴輪などの破片が多数発見されました。なお、墳頂部では円筒埴輪列は確認できませんでした。

写真4 1トレンチ 東側造出部 埴輪出土状況

 1段目テラスと2段目テラスで発見された円筒埴輪列を比較すると、2段目テラスの円筒埴輪列は円筒埴輪同士の中心の距離が50cm程度しかなく密に樹立されていますが、1段目テラスの円筒埴輪列はその距離が一定ではなくまばらに樹立されています。さらに、1段目テラスの各円筒埴輪の内側には15cm程度の結晶片岩が据えられていますが、2段目テラスの円筒埴輪にはそれが認められません。

 以上のように、1段目テラスと2段目テラスとでは円筒埴輪の樹立方法や間隔が異なることが明らかになりました。

 墳丘は、3段目斜面下半〜造り出しの一部は結晶片岩の岩盤を削り出して整形していますが、それ以外の箇所については、盛土を行って築造しているようです。

 2トレンチ 1段目の斜面、テラスおよび埴輪列を確認しましたが、2段目の斜面とテラスは撹乱により失われていました。1段目斜面には盛土が確認できます。また、1段目テラスの円筒埴輪の内側には1トレンチ1段目テラスの円筒埴輪同様、結晶片岩が据えられています。

 3トレンチ 後世の改変により、築造当初の墳丘外表の大半が失われていました。しかし、結晶片岩の岩盤の傾斜変換点を認めることができましたので、現在のところこの箇所を後円部墳裾と判断しています。

 5トレンチ 西側くびれ部は、3段目斜面に大きな改変を受けていましたが、その形状から造り出しの存在が予想されていました。今回の調査により西側くびれ部の2段目に造り出しが存在することが確認できました。

 造り出しには、1トレンチと同様に2段目テラスの円筒埴輪列と形象埴輪群が認められました。さらに、形象埴輪群を囲繞し、方形区画を明示するための円筒埴輪列の一部も確認できました。方形区画内には、動物・人物埴輪、須恵器大甕・高坏・坏蓋などが現時点で確認されていますが、今後の調査や整理の進展により、より多種類の形象埴輪の存在が明らかになるものと考えられます。

 6トレンチ 前方部埋葬施設の有無を確認するために、現地表面から2.1m掘削しましたが、今のところ埋葬施設を確認できていません。この部分は、大規模な撹乱を受けていたことが明らかですので、撹乱の底部に埋葬施設の一部が残存している可能性が考えられます。調査終了までに、確認作業を行う予定です。

 7トレンチ 1段目の斜面、テラスおよび円筒埴輪列を検出しました。現地表面から10cm程度掘削したところで岩盤が検出され、盛土は行っておらず岩盤を整形することにより墳丘を築造したことが判明しました。

 8トレンチ 後世の改変が著しかったため、1段目および2段目テラスと推定した箇所では、円筒埴輪列やテラスを確認できませんでしたが、墳裾推定箇所では岩盤を整形したとみられる傾斜変換点を確認しました。今のところ、この箇所を前方部前端墳裾と考えています。

まとめ

 今回の調査で大日山35号墳の墳長が約96mを測り、和歌山県で最大規模の前方後円墳であることが判明しました。墳丘は3段築成で、2段目の東西くびれ部は造り出しが構築されることが明らかとなり、井辺八幡山古墳と非常に類似した墳丘形態と考えられます。墳丘の築造は、結晶片岩の岩盤を整形して行い、盛土は部分的な範囲にとどまることが判明しました。このように自然地形を利用して墳丘を築造しているため、後円部が前方部より低くなったと考えられます。築造時期は、石室羨道部や造り出しで出土した須恵器を総合的に検討すると、6世紀初頭に位置付けられ、羨道部で出土した須恵器からは追葬が行われた可能性が考えられます。

 今回の調査成果により、墳丘規模から大日山35号墳が当該期の紀伊における首長墳であったと位置付けることができるようになりました。さらに、くびれ部で検出された造り出しでは、多様な形象埴輪を樹立した古墳時代における埴輪祭祀の具体的な姿を目の当たりにすることが出来ました。この形象埴輪群は、近年調査された当該期の大王墳とみられる大阪府の今城塚古墳や県内の大谷山22号墳、井辺八幡山古墳などとの比較検討を通じて、古墳時代における王権中枢や地方首長の古墳祭祀のあり方を考察するための貴重な資料になると考えられます。

説明文岩橋千塚古墳群 古墳分布図調査区配置図

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