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平城第365次調査(旧大乗院庭園)

調査の経緯と経過旧大乗院庭園について調査の成果検出遺構 北区検出遺構 南区略年表

奈良文化財研究所
2003年11月15日(土)

 今回の調査は、二つの調査区を東大池西岸の南北という、ややはなれた場所に設けています。ここでは、西北隅の調査区を「北区」、西南隅の調査区を「南区」と呼んで、それぞれについて説明します。

調査区位置図

北区

北区 遺構平面図を別ウィンドウに表示

 北区は、江戸時代に描かれたとされる絵図、『大乗院四季真景図』(興福寺蔵)と『大乗院殿境内図』(春日大社 岡本氏蔵)を比較すると、様相がずいぶんと変わっていることがわかり、江戸時代の中でも何度かつくり替えられていることが予想されました。

 今回の調査では、これらの絵図それぞれに対応すると考えられる遺構を確認し、絵図の作成年代に関する手がかりを得るとともに、大乗院庭園の変遷を解明するうえで重要な知見を得ることができました。さらに、これらの絵図には描かれていない江戸時代の遺構もみつかり、この場所が江戸時代をつうじて作庭をくりかえした様子をうかがい知ることもできました。

 また今回の調査では、大乗院が廃絶となった明治時代の遺構もまとまった形で検出しています。明治時代以降の大乗院跡については郷土史の資料などから知ることができ、その歴史の概略はすでに述べた通りです。

 このように北区では、紆余曲折を経ながらも庭園として現在まで伝えられた明治時代以降の変遷も資料に沿うかたちで検出し、旧大乗院庭園の中世から現在までの時の重なりをあらためて確認することができました。

南区

南区遺構平面図

 南区は、東大池の岸辺の様相を確認することを目的とした調査区です。これまでの調査により、東大池の岸辺は、中世以来、積土によってしだいに高く造成されてきたことが明らかになっています。

 今回の調査でも、陸部を形成する積土の状態から、江戸時代にはすでに現在と同じような急勾配の岸辺であったことをあらためて確認できました。岸辺の平面形についても、江戸時代末期には『大乗院殿境内図』にみられるような直線的な状態であったことがわかり、同図の資料としての信憑性を裏付けることができました。

 これまでの調査では、最上層の積土を、積土に含まれる遺物から、江戸時代の造成と推定してきました。今回の調査では、この積土を掘りこんでつくられた取水用暗渠を検出しました。この暗渠に使われている陶管が明治時代初期の常滑産であることがわかり、遺構の面からも最上層の積土が江戸時代の造成である可能性を示すことができました。

 また、詳細な調査は今後の課題ですが、取水用暗渠掘形の土層断面の観察からは、本来の池は今よりも西側にひろがっていて、中世以来の積土により陸部が東にはりだした様子もうかがえます。

 

調査の経緯と経過旧大乗院庭園について調査の成果検出遺構 北区検出遺構 南区略年表

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