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岩屋遺跡

はじめに/岩屋遺跡の時代と周辺の遺跡岩屋遺跡E地区 主な遺構自然流路SR203と3ケ所の堰/堰1と用水路

※下記の文、写真、図は、すべて当日の配付資料からの引用です。

※原文では遺構図から引出しで各写真、説明文が配置されていましたが、それを再現するとページが重くなるため、変更しました。またそれに伴い、遺構図内の引き出し線は削除しました。

現地説明会資料
平成15年12月21日
兵庫県教育委員会
埋蔵文化財調査事務所

岩屋遺跡E地区 主な遺構

 

杭材

丸太をそのまま先をとがらせて打ち込む場合もありますが、丸太にクサビを打ち込んで割き、横断面形が扇形になるような“ミカン割り”をして、先をとがらせて打ち込んでいます。

 

堰1

上流からの流れを、用水路の方向に変えています。
横木を渡した本体の杭列の前に、杭を斜めに打ち込んだ2列を加えてダメージを和らげています。

 


堰2

用水路の上流で流れ速さゆるやかにして、堰1や用水路への流れの負担をやわらげています。

堰3

水流による影響の激しい場所に築かれていたのでしょうか、壊されたために何度か修復されています。


自然流路SR205

幅18m、深さ2mの川で、縄文時代晩期(2500年以上前)には姿をあらわし、弥生時代中期(2100年前)には埋まっています。

  壁の断面の真ん中の黒いところは川幅が狭まって(8m)新しい川が流れていました。西側の川に堰が築かれた頃に流れていた川です。

井堰・用水路の法量

堰1:検出長6.0m、最大幅3.0m
堰2:検出長5.3m、最大幅1.Om
堰3:検出長6.0m、最大幅4.Om(改修を含む規模)
用水路:検出長100m、幅20m、深さ10m(断面V字形)


●遺跡のポイントは

  1. 川の中から、たくさんの杭を打ち込んで作られた堰が3つ並んで発掘されました。それらは水流の速さや方向、水量を変えるために違う役割を果たしたものでしょう。
  2. 堰1の南には大規模に掘られた用水路があり、何度も底ざらえしながら大量の水を下流域へ引いていた様子がうかがえます。
  3. 堰や用水路は、この地域で米作りが本格化した弥生時代前期(今から2300〜2400年前)のもので、全国的にも最古級の資料です。

●つまり

 岩屋遺跡では水稲耕作初期段階にあたる弥生時代前期に、すでに大規模で複雑な構造の井堰や用水路が作られていました。用水路の先には、一面に水田がひろがっていた景観が復元できます。今回発見された灌漑施設は、猪名川下流域の人々が、米作りや生活に必要な水を川の流れを見極めて巧みに引いて利用していた様子がわかる数少ない貴重な発見です。

はじめに/岩屋遺跡の時代と周辺の遺跡岩屋遺跡E地区 主な遺構自然流路SR203と3ケ所の堰/堰1と用水路

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