配付資料
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石守廃寺
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|説明文|石守廃寺寺域と主な遺構|
兵庫県教育委員会 |
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空から見た法隆寺の伽藍 石守廃寺とは 神野町石守のこの地は、付近の田畑に瓦が散らばり、塔の心礎(しんそ)(塔の中心柱の礎石)が残っていたことから古代寺院があったことが知られていました。この寺院は今から約1300年前の奈良時代、奈良の都平城京が造られたのと同じころに造られ、百数十年後の平安時代にはつぶれてなくなったようです。寺院の名前、いつ誰が造ったのかについて言い伝えや記録は何も残っていません。そこでこの遺跡は、石守にある無名の寺院の遺跡ということで、「石守廃寺」と呼んでいます。 発掘調査で何がわかったか ☆寺院ができる前にムラがあったことがわかりました。 遺構から見つかったもの たくさんの瓦が見つかりました。寺院の屋根には下図のように色々な種類の瓦があります。しかし今回見つかった瓦は不要になり捨てられたものであるため、すべての種類の瓦が出土している訳ではありません。また残り具合もよくありません。瓦には作る時に布を当てたあとが表面に残っていることから布目瓦(ぬのめかわら)と呼んでいます。見つかった瓦のほとんどは平瓦、丸瓦ですが、ごく少量軒先を飾る丸瓦(軒丸瓦(のきまるかわら))がありました。軒丸瓦には蓮の花や同心円の模様が描かれています。
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|説明文|石守廃寺寺域と主な遺構|
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