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大塚山古墳

説明文野洲町古墳分布図大塚山古墳平面概略図

大塚山古墳 第4次調査
現地説明会資料
平成14年10月19日
野洲町教育委員会

史跡大岩山古墳群 大塚山古墳(おおつかやま)第4次調査
遺跡名      史跡大岩山古墳群 大塚山古墳
所在地      滋賀県野洲郡野洲町大字辻町字六ノ坪604番外
調査目的     史跡大塚山古墳保存整備事業にかかる発掘調査
調査期間     平成14年7月12日継続中
調査主体     野洲町教育委員会 文化財保護課

調査前の状況
大塚山古墳は従来、古墳をとりまくように外周畦畔(けいはん)が馬蹄形(ばていけい)にめぐり、墳丘西側の畦畔が長方形に区画されることなどから西側に造出(つくりだし)をもつ古墳と推定されていました。
 調査前の状況は、墳丘がおおむね三段の円形をなし、墳丘一段目は東より西が0.5m低く、東側の濠は埋まって墳丘一段目と同じ水田になっていました。二段目は幅8〜10mの平坦な畑地で(標高102.5〜103.1m)、北側の一部は上下二段になっていました。墳丘一・二段日は急斜面で2.2〜2.5mの比高差があり、三段目(墳頂部(ふんちょうぶ))は二段日から更に垂直に2.4〜3.7粗切り立っています。
 墳頂の標高は106.8mで、中心部は径約5.Om、高さ0.5mにわたり高まり、頂きには花崗岩が一石見られます。

周辺調査
1次調査

 大塚山古墳に関連する調査としては、昭和56(1981)年古墳西側の鉄塔建設にともなう調査で現地表下0.6mの黒褐色粘質土層から埴輪(はにわ)や中世の土器などが出土しています。また、平成2年(1990)北側の野洲町総合福祉保健センター建設にかかる調査において、古墳東側外周をめぐるように幅約3mの溝状遺構が検出されたほか、北西部(シルバー人材センター西側グランド)で盾形(たてがた)埴輪が出土したL字溝(方墳)を検出しました。

調査経過
 保存整備事業にかかる調査は、平成11年(1999)から着手しました。1次調査は古墳の基底部や造出を確認するため墳丘西側一段目から周濠にかけて調査(1〜8トレンチ)しました。その結果、基底部の葺石と埴輪を確認しましたが、造出や周濠の全容を明らかにするまでにはいたりませんでした。

2次調査
 平成12年度の調査は、墳丘規模を確定する目的で東西南北の基底部について調査するとともに一部周濠の外周確認調査を実施しました(9〜14トレンチ)。その賠果、1次調査とあわせ10・11a・6・8・9・12トレンチで墳丘基底と斜面の葺石を検出し、円丘部が径57mの規模を有することが明らかとなりました。また、円筒(えんとう)・朝顔形(あさがおがた)埴輪や家形・笠(きぬがさ)形などの形象埴輪(けいしょうはにわ)、儀状形木製品(ぎじょうがたもくせいひん)(木製盾形埴輪/10トレンチ濠内)などが出土しました。

3次調査
平成13年度の調査は、事前に物理探査(レーダ・電気・重力)を行ったうえで、墳丘(15a・16a・17a・18a・19トレンチ)と周濠外縁部(20・21・22・23トレンチ)の調査を行いました。探査では円丘部の外周にやや東西に膨らむ周濠が認められ、墳頂部(ふんちょうぶ)では南北方向に複数の反射反応がありました。また、外縁部においても一部探査を実施しました。

墳丘調査
 墳丘二段目は現況で径45mをはかり、畑地となった幅8〜11mの平坦面が一周しています。東西南北の設けたトレンチのうち、東側斜面部から葺石(根石)を検出(18トレンチ)しました。葺石は墳丘中心から約22m、墳丘基底(12トレンチ)から約6.5m内側の位置にあたります。
 古墳の基底をなす基盤層は花崗岩崩壊土壌の砂質土で、2次調査においても墳丘一段目なかばで確認でき墳丘の大部分は盛土で構築されています。
 盛土は厚さ30〜40cmの黒色土と黄色砂質土を交互に積上げ、中心部あるいは下部ほど顕著に認められ、上部・外縁部にいたるほど黄灰色や黒色土の混じりあった土層が斜めに堆積しています。また、斜面下部ほど礫が多く認められたことから、本来斜面には葺石が存在したものと推定されます。

墳頂確認調査
1m幅で東西南北に調査(15b〜18b・19トレンチ)した結果、中央西側の16bトレンチから幅約1mにわたり集石を検出し、その外側で南北5.0m東西4.2mの墓壙(ぼこう)とみられる掘方を検出しました。集石は中央西側に限られており詳細はなお明らかではありません。また、レーダ・重力探査では複数の異常反射を示す箇所があり、埋葬施設(まいそうしせつ)も複数存在する可能性があります。
 墳頂部の調査では滑石(かっせき)製の勾玉(まがたま)と刀子(とうす)形模造品、緑色凝灰岩(ぎょうかいがん)製管玉、ガラス玉、鉄地金銅製品、甲冑(かっちゅう)、鉄鏃、埴輪、須恵器蓋杯などが出土しました。ガラス玉は大部分が17bトレンチ上層から、滑石製の勾玉と刀子は掘方上面から出土しました。ガラス玉にはトンボ玉(径1.1cm厚さ0.8cm)と少数の濃紺色玉(径1.Ocm厚さ0.8cm)、黄色・紺色・水色・緑色の小玉(径0.3〜0.5cm厚さ0.2〜0.3cm)が約50点あり、甲冑には横矧板鋲留短甲(よこはぎいたびょうどめたんこう)と挂甲小札(けいこうこざね)の破片があります。遺物は本来埋葬施設内に納められた副葬品(ふくそうひん)を含むことから、主体部は既に盗掘を受けていると考えられます。

周濠調査
 西側(20〜23トレンチ)の調査により周濠は幅13〜20m、深さ約1.Omをはかります。濠には黒灰褐色粘質土が堆積し外側はゆるやかに浅くなります。さらに周濠の3〜10m外側にも幅約3m深さ釣0.3mの溝を検出しました。この溝は平成2年度の調査や3次調査の外周探査においてもとらえられ、周濠外周にも古墳をとりまく溝がまわっていると考えられます。

4次調査調査概略図を別ウィンドウに表示
造  出

 今回の調査は、西側にややふくらむ墳丘一段目について、本来の墳丘基底部と茸石を明らかにし、基底部4分の1程度の茸石を復原整備するために面的な調査を行いました。調査は2次調査で明らかとなった基底部茸石を延長するようにすすめた結果、7トレンチの東で北側に突出する造出(幅約33m長さ約7.5m)が明らかとなりました。造出は、東側のくびれから釣9.5m西側の地点で墳丘側に約7.5m折れ曲がる特異な形状をなし、東と西がほぼl:2の比率に区切られています。
 形象埴輪の多くは、東の小さな造出の周囲から出土しました。また、両端のくびれに近い平坦部からは円筒埴輪が据付け状態で検出され、墳丘一段日の高さが(約99.7m)明らかになりました。さらに今回の調査区東端において転倒した状況で円筒埴輪と朝顔形埴輪がまとまって出土しています。

埴  輪
 出土遺物の大半は(円筒)埴輪でこれまで整理用コンテナに釣50箱出土しています。円筒埴輪の多くは、推定高35cm底径20〜23cmの小型品で黒斑(こくはん)をとどめないものです。また、外面をタテハケ後ヨコハケにより二次調整し、内面をナデあげるものと、内外面ともに一次調整のタテハケで仕上げるものがあります。わずかに須恵質のもの見られます。
 朝顔形埴輪は、円筒埴輪よりも大きく推定高80cm底径27.5cmをはかり、円筒に大きく開く口縁部をそなえ赤色顔料が塗布されています。

鶏形埴輪
 形象埴輪には家形・笠形・鶏形・水鳥形・人物などがあり東側の造出を中心に出土しています。中でも造出1の前面部から出土した鶏形埴輪は、長さ約80cm幅37cm高さ約80cmをはかる大型品で、頭部は嘴(くちばし)が明確でないものの鶏冠(とさか)に大きな目を表現しています。体部は円筒台のうえに省略した中空の脚、短く表現された翼、大きな尾羽が表現され、全体に圏線・直線・弧線が刻まれ赤色顔料が塗布されています。鶏はほかに頭部1点を確認しています。また、水鳥も2点出土しています。形象埴輪についても多くは破片での出土であり、詳細は今後の接合作業を待たねばなりません。

保存整備
これまでの調査結果に基づき、古墳は本格的な保存整備工事に着手します。調査で検出した遺構については山砂等で保護層を設け現状で保存をはかります。墳丘は現状を生かし、造出については保護層の上面に葺石を復元整備します。また、周濠についてはウッドチップ舗装で明示し、適所に遺構解説板や植栽を施す計画です。

ま と め
・大塚山古墳は、直径57m高さ約8m円丘部とその北西部に造出をもつ(墳長約65m)5世紀後半の帆立貝形古墳です。
・墳丘の外側には幅13〜20mの濠がめぐり、、濠をふくめた全長は釣90mとなります。更に濠の外側にも幅約3mの溝がまわり、外周溝をふくめた全長は釣105mとなります。
・墳丘の大部分は盛土によって築かれ、斜面には茸石をならべています。
・墳頂部から埋葬施設とみられる墓壙の掘方を検出しています。また、滑石製勾玉や刀子形模造品、ガラス玉、甲冑、鉄鏃、埴輪、須恵器片などが出土しています。
・円丘部の北西に幅約33m長さ約7.5m突出した造出を検出しました。造出斜面には5段程度花崗岩の葺石をならべ、下部には長さ約40cmの角礫を横づかいにもちい、上部には握挙大の亜角礫が用いられています。葺石は所々縦づかいや縦方向にそろえた箇所がみられます。
・造出は東西二つの造出に区切られた特異な形状をしており、東西がほぼ1:2の比率になっています。
・くびれに近い墳丘平坦部からは、円筒埴輪の底部が据えつけられた状態で検出され、墳丘一段目が約99.7mをはかることが明らかになりました。
・形象埴輪の多くは、東側の造出周辺から出土しています。
・今後、埴輪復元と埴輪祭祀の検討作業をすすめ二つの造出の意味を明らかにする一方、周濠は部分的に史跡指定地外に広がることから、周辺を含めた保存整備の検討に努めてまいります。

説明文野洲町古墳分布図大塚山古墳平面概略図

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