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北黄瀬遺跡

説明文雲井地区の奈良時代の遺跡分布北黄瀬遺跡調査位置図平城宮跡「造酒司」復元図
井戸・作業場・建物の模式図塞き止め板の模式図遺構配置図寸法/類似例

北黄瀬遺跡第2次発掘調査
現地説明会資料
平成14年10月6日
信楽町教育委員会

1.請査名称 北黄瀬遺跡第2次発掘調査
2.調査地  滋賀県甲賀都信楽町大字黄瀬(きのせ)字角(かく)
3.調査面積 4,500平方メートル
4.調査期間 平成13年2月20日〜平成14年10月上旬(予定)
5.調査主体 信楽町教育委員会  教育長 藤井 克宏
6.調査指導 紫香楽宮跡調査委員会
7.調査担当 信楽町教育委員会 文化財調査室

8.調査位置と概要
 調査地は、隼人川(はやとがわ)北岸の平地、史跡紫香楽宮跡が所在する平野部の西北に位置し、紫香楽宮中心部の宮町遺跡からは西へ1キロ、南へ1.2キロ離れています。
 今回の調査は、町道黄瀬北側線の西側6,500平方メートルを対象に2月から行い、奈良〜室町時代の井戸や溝を確認しました。

9.主な出土遺構
井戸・作業場
 第2トレンチの西で確認した大型の井戸で、方位を真北から約2°西にとります。
 井戸の周辺は、作業場と考えられる、東西8.96m(約29尺)×南北7.84m(約26尺)×深さ約0.3mの掘形を設け、床面を厚さ0.1mの整地土で固めています。また掘形の周囲は幅0.2〜0.3m程度整地せずに埋め残し、作業場内の排水溝の役割を果たしていたようです。
作業場では、東西3間(7.75m)×南北2間(5.35m)の切妻造(きりづまづくり)の建物の柱跡を確認し、井戸に伴う建物があったことがわかりました。また、建物の中央付近で作業場掘形の北辺が崩れていることから、建物の北側から井戸に出入りしていたことが想定されます。
井戸は、分厚いヒノキの柾目板(まさめいた)を槍鉋(やりがんな)で丁寧に仕上げし、一辺約2.Om(内法約1.8m)、深さ約0.8mの方形横板組の形状で板材を上下2段に連結しています。
 検出状況から考えると、井戸底から井戸枠上端までの高さは、1m前後と推測でき、平面規模と比較すると極めて浅い井戸と考えられます。各辺は掘形の東・南・北辺の三方からそれぞれ2.92m、3.02m、2.92mの距離に位置していることから、作集場の空間が10尺等間隔になるよう意織した構造と考えられます。
 また、枠板の組方工法が非常に緻密(ちみつ)で堅牢(けんろう)に施工されている(横板は桝(ます)組した上に釘止めをし、切り込みの隙間にはクサビ状の薄板を差し込む。また上段と下段の接合は、溝を切り、落とし込み連結)ことやその大きさから特別な用途に使用されたと考えられます。
排水溝
 掘形西辺の南側で、井戸に伴う排水溝と見られる幅3.2〜3.6m。深さ0.4m、検出長15.8mの溝を確認しました。
 溝は途中で、西北へ方向を変えていますが、井戸の排水溝が屈曲する事例は、平城宮跡の発掘調査でもあることから、何らかの意図があったものと考えられます。
埋設塞き止め板(まいせつせきとめばん)
 井戸の西側板より約0.6m触れた場所で、南北方向に大きな板材を3枚組み合わせた遺構が埋設されていました。写真
 遺構の方位は、真北から約4°西にとり、板材は井戸の掘形を貫き、全長8.8mを測ります。
 板材を埋設するための掘形は幅0.5〜0.8mあり、整地土直下から始まることから、井戸の使用時には完全に埋められていたことは明らかです。
 また、遺構埋土の切り合い状況から、(1)井戸枠→(2)中央板材→(3)南・北端板材の順で設置され、井戸に関連した遺構と考えられますが、他の遺跡で出土した例はありません。
 3点の板材は、隣り合う木口(こぐち)を0.3〜0.5m重ね合わせ、中央の板材(板材2 材質 スギ・板取 柾目)が最も長く446cm、北端の板材(板材1 材質 ヒノキ・板取 柾目)が261cm、南端の板材(板材3 材質 ヒノキ・板取 柾目)が245cmを測ります。
 また、いずれの板材も幅64〜71cm、厚み7〜12cmあり、手斧(ちょうな)で加工した痕跡を全面に残し、板材2の東側には埋設する際、板を支えるために使用したが残っていました。

10.まとめ
1) 井戸の年代と性格
 今回検出された井戸からは土器が出土していないので、土器から井戸の年代を推定できませんでしたが、埋土最下層から曲げ物の底板1点(ヒノキの柾目材)が出土しています。
 年輪年代測定の結果、辺材を一部残した試料(Bタイプ)に分類され、残存している年輪の年代が西暦668年を示しています。
 また、「埋設塞き止め板」の板材1が年輪年代測定の結果、Bタイプに分類され661年、板材3が、樹皮の残る試料(Aタイプ)に分類され、743年秋(天平15年)の年代を得ています。
 さらに、
(1) 井戸の規模が、極めて大きく、同様の規模をもつ遺構としては、平城宮跡の内裏(だいり)や、大膳職(だいぜんしき)、造酒司(ぞうしゅし)、磚積官衛(せんづみかんが)遺構(太政官(だいじょうかん)とする説あり)などの中央の役所に集中すること。(平城京内の事例では奈良県立一条高校の敷地で1基確認されています。)※「磚積官衛」の「磚」は「土」へんに「専」の字ですが、Macintoshでは表記できないため「磚」とします(辞書で調べると間違いではないようです)
(2)井戸枠を横板組にするという構造が、平城宮をはじめとする奈良時代の官衛(かんが)遺構から多く見られること。
(3)井戸や掘形の方位が、紫香楽宮の中心部であった「宮町遺跡」や平成12年度に滋賀県が実施した、「新宮神社遺跡」と同じ方位をとること。
(4)「埋設塞き止め板」の伐採年代が、紫香楽宮の造営期間に一致すること。(『続日本紀(しょくにほんぎ)』に記載されている紫香楽宮の期間は742年(天平14)〜745年(同17))
から、紫香楽宮に関連した役所の井戸と推定できます。
 また、「埋設塞き止め板」については、出土例がなく設置の目的は不明ですが、井戸枠板よりもさらに深く粘土層まで埋設し、透水層からの水の流央を堰き止める工夫がなされていることや地下水が流れる下流側に位置していることから、
(1) 井戸の水位を保持・調節するために設置した。
(2) 必要な水量が確保できないため、塞き止めた。
などが設置理由の一案として考えられます。
2)紫香楽宮との関連
 今回の調査地で、紫香楽宮に関連した役所の存在が確認できたことは、紫香楽宮の役所群が、宮町遭跡と国史跡紫香楽宮跡周辺だけでなく、予想以上の広い範囲に展開していたことが推測できます。
 この遣跡の具体的な性格としては、井戸以外に奈良時代の遺構や出土遺物がほとんどないことを考えると
(1) 一般釣な事務を行う役所ではなく、多人数で作業を行った木材加工作業場などの実務を担当する場所であった可能性。
(2) 人々が活動していた痕跡が乏しいことから、この区画を建設している途中で建設を放棄した可能性。
が考えられ、その実態の解明に向けては、周辺の発掘調査データの蓄積を待ってさらに検討することが必要です。
 なお、今回の調査の年輪年代測定については、奈良文化財研究所の 光谷拓美(みつたにたくみ) 古環境調査室長にご協力をいただきました。

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井戸・作業場・建物の模式図塞き止め板の模式図遺構配置図寸法/類似例

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