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2002/11/23の現説資料
石神遺跡 出土木簡 飛鳥資料館展示

石神遺跡第15次調査出土木簡について配付資料の説明文具注暦木簡他の木簡の解釈

石神遺跡出土木簡の展示
二〇〇三年二月二七日(木)〜三月九日(日)
*月曜休館 休館日に展示替えを行ないます

木簡(16)具注暦(表)


※原文は縦書きです

    〔庚カ〕(執)
   ] 口 申 丸    口 口 口 口
                 〔岡カ〕
  ] 辛 酉 破     上 玄 口 虚 厭 口
      〔破)
 ] 壬 戌 皮      三 月 節 急 盈 九 [
       (危)   〔重カ〕
  ] 癸 亥 色     口 馬 牛 出 椋 口
  〔甲カ〕
 ] 口 子 成      絶 紀 帰 忌 口
   〔乙カ〕(収)
  ] 口 丑 枚     天 間 日 口 口
       〔開カ〕  〔血カ〕
      ] 口     口 忌 口 口

   〔申カ〕
  ] 口 平  天 間 日 血 忌 口

 ] 丁 酉 定  天 李 乃 井 口
      〔執〕
 ] 戊 戌 丸  望 天 倉 小 口
      (破)
 口 己 亥 皮  往 亡 天 倉 重

 ] 庚 子 危 人 出 宅 大 小 口 口
     〔丑 成カ)   〔帰カ〕
    ] 口 口  口 口 口 [

(108)・(100)・14 065 砂溝

※持続三年(六八九)の具注暦(ぐちゅうれき)を記す木簡。表面は三月八日〜十四日、裏面は四月十三日〜十九日の暦日を記す。周囲が丸く削られているのは廃棄後に木器として転用されたため。本来は表面に三月、裏面に四月、それぞれ一ケ月分の暦日を記した長方形の板であったと考えられる(復元図参照)。具注暦は天皇の名のもとに政府が作る正式の暦であり、中央官司や地方諸国にはその写しが頒布された。本来は紙に書かれた巻物だが、同時に多数の官人が見られるよう、当面必要な二カ月分の暦日を木の板の両面に筆写したものと理解される。

具注暦木簡復元図

三月大

 一日癸丑開 九坎天倉
 二日甲寅閉 帰忌
 三日乙卯建 厭対
 四日丙辰除
 五日丁巳満 重
 六日戊午平
 七日己未定 血忌
 八日庚申執 口口口口
 九日辛酉破 上玄岡虚厭口
 十日壬戌破 三月節急盈九
十一日癸亥危 重馬牛出椋口
十二日甲子成 絶紀帰忌口 ]天倉
十三日乙丑収 天間日口口
十四日丙寅開 血忌口口厭対
十五日丁卯閉
十六日戊辰建
十七日己巳除 重
十八日庚午満
十九日辛未平
 廿日壬申定 厭
廿一日癸酉執
廿二日甲戌破 九坎
廿三日乙亥危 重
廿四日丙子成 帰忌天倉
廿五日丁丑収 三月中
廿六日戊寅開 血忌厭対
廿七日己卯閉
廿八日庚辰建
廿九日辛巳除 重
 丗日壬午満 往亡

四月大

 一日癸未平
 二日甲申定 厭
 三日乙酉執
 四日丙戌破 九坎
 五日丁亥危 重
 六日戊子成 帰忌天倉
 七日己丑収
 八日庚寅開 血忌厭対
 九日辛卯閉
 十日壬辰閉 四月節
十一日癸巳建 重
十二日甲午除
十三日乙未満 口口厭九坎
十四日丙申平 天間日血忌口
十五日丁酉定 天李乃井口
十六日戊戌執 望天倉小口
十七日己亥破 往亡天倉重
十八日庚子危 人出宅大小口口
十九日辛丑成 口口帰忌厭対
 廿日壬寅収
廿一日癸卯開
廿二日甲辰閉
廿三日乙巳建 重
廿四日丙午除
廿五日丁未満 四月中九坎厭
廿六日戊申平 血忌
廿七日己酉定
廿八日庚戌執
廿九日辛亥破 天倉重
 丗日壬子危

暦注を報道各紙から拾ってみました。

帰忌(きこ)  (帰宅は凶)
血忌(ちいみ) (出血は凶)
天倉      (蔵開きに吉)
往亡(おうもう)(旅行などは凶)
九坎(くかん) (万事に凶)

※以下、朝日新聞2/27より
 東野教授は、京都市の妙心寺に伝わる日本最古とされる釣り鐘(国宝)に注目する。銘には698年を示す「戊戌(つちのえいぬ)年四月十三日壬寅(みずのえとら)(おさん)……」とある。「」は「万物を収めるのに吉」とされる。東野教授は「具注暦を意識して『収』の日を選んだと考えられる」と話す。
 日本書紀によると、持統3年4月13日、皇太子草壁皇子が亡くなった。出土木簡の裏面の1行目はこの日だ。くしくも、吉凶の欄は万事に凶の「九坎(くかん)」となっている。

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